朽木友綱

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
朽木友綱
時代 江戸時代前期
生誕 慶長4年(1599年[注釈 1]
死没 寛文2年8月8日[1]1662年9月20日
別名 与五郎(通称[1]
戒名 紹心[1]
墓所 東京都港区高輪の泉岳寺[1]
幕府 江戸幕府 御徒頭書院番組頭
主君 徳川秀忠家光家綱
氏族 朽木氏
父母 父:朽木元綱 母:田中氏 [1]
兄弟 宣綱友綱稙綱、女子(堀直政室)ら[2]
正室:加藤則勝の娘 [1]
女子(加々爪信澄室)、女子(由良貞房室)、正綱 [1]
テンプレートを表示

朽木 友綱(くつき ともつな)は、江戸時代前期の旗本交代寄合朽木領主9590石)朽木元綱の二男。幕府に出仕して別家を立て、最終的に3010石余の領主となった。万木(ゆるぎ)朽木家初代。

生涯[編集]

慶長4年(1599年[注釈 1]朽木元綱の二男(庶子[注釈 2])として生まれる[1]稙綱は同母弟[3]

朽木元綱と細川忠興が親しい関係にあったため、友綱ははじめ忠興のもとにあった[1]。元和元年(1615年)の大坂夏の陣では細川忠興に従って参戦し、天王寺の戦いで首級を得た[1]

元和4年(1618年)3月13日、徳川秀忠に召し出され、書院番となって蔵米500俵を給された[1]。のちに、蔵米取から知行取に改められ、近江国栗太郡内で1000石を領した[1]。寛永9年(1632年)8月11日に御徒頭となり、同年冬に布衣を許された[1]

この寛永9年(1632年)8月29日、父の朽木元綱が死去している[4]。元綱はさきに家督を長男の朽木宣綱に譲っており、近江国高島郡内に3240石を隠居領として領していた。12月6日、元綱の隠居領を宣綱・友綱・稙綱の兄弟が分配して相続することが認められた[2]。友綱は、元綱の遺領のうち2010石を相続し、知行は合計3010石となった[1]

寛永10年(1633年)2月19日、同じ御徒頭の神尾守勝近藤用行安藤正珍とともに、宇治採茶使に任じられる[5]。宇治採茶使は将軍家御用の新茶を宇治から江戸に運ぶ任務(いわゆる「御茶壷道中」)で、前年の寛永9年(1632年)に制度化された[5]。朽木友綱らの発遣が、制度化された宇治採茶使の最初の事例である[5]

正保4年(1647年)9月26日に書院番組頭となり、承応2年(1653年)9月27日まで務めた[1]。寛文2年(1662年)8月8日没、享年64[1]

万木朽木家[編集]

朽木友綱が近江国高島郡で父の遺領から相続した領地は、南古賀村・長尾村・東万木村・追分村の各一部および中野村の、計2010石余である[6]。友綱は江戸青山掃除町の屋敷に居住したが[6]東万木ひがしゆるぎ村(現在の滋賀県高島市安曇川町青柳)に陣屋を置いて代官を派遣していた[6]。このことから、朽木友綱の家を「万木ゆるぎ朽木家」とも称する[7]。上記の高島郡の村は、幕末・明治維新期まで万木朽木家の知行地であった。

万木朽木家は、『寛政重修諸家譜』編纂時まで、友綱―正綱―長綱―明綱―徳綱よしつな―直綱―栄綱よしつなと続いている[8][注釈 3]。朽木正綱は御書院番となった。朽木長綱は徳川吉宗の下で御書院番組頭・小普請支配を務め、布衣を許された。朽木徳綱以降の3代は養子で家をつないでおり、朽木徳綱は稲葉恒通(豊後臼杵藩主)の子、朽木直綱は朽木寛綱(宣綱の四男である朽木元綱の家の当主)の子、朽木栄綱は朽木綱貞(丹波福知山藩主)の子である。栄綱は、大坂御船手・百人組頭を歴任して布衣を許され、『寛政譜』編纂時には御持筒頭を務めていた[3]

『高島郡誌』によれば、安政2年(1855年)の安政の改革にともない夫人や世嗣の在国が認められると、万木朽木家(維新期の当主は朽木勇太郎[9])も家臣団とともに東万木村に移った[6]。東万木には家臣のための長屋も設けられたという[6]。しかし、明治維新後の知行地返上にともない、当主は江戸(東京)に帰り[10]、家臣も離散した[6]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ a b 没年・享年からの逆算
  2. ^ 元綱の正室は一身田専修寺真宗高田派法主)の尭慧の娘。朽木家を継いだ宣綱は尭慧の娘の子で、友綱の異母兄である。
  3. ^ このうち、長綱・徳綱・栄綱が「修理」を称している。

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 『寛政重修諸家譜』巻第四百十六「朽木」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第三輯』p.148
  2. ^ a b 『寛政重修諸家譜』巻第四百十五「朽木」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第三輯』pp.143-144
  3. ^ a b 『寛政重修諸家譜』巻第四百十七「朽木」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第三輯』p.149
  4. ^ 『寛政重修諸家譜』巻第四百十五「朽木」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第三輯』p.143
  5. ^ a b c 茶壷道中”. 都留市. 2023年2月15日閲覧。
  6. ^ a b c d e f 『高島郡誌』, p. 567.
  7. ^ 『高島郡誌』, p. 560.
  8. ^ 『寛政重修諸家譜』巻第四百十六「朽木」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第三輯』pp.148-149
  9. ^ 『高島郡誌』, p. 569.
  10. ^ 『高島郡誌』, pp. 567, 1047.

参考文献[編集]

外部リンク[編集]