本田近常

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本田 近常(ほんだ ちかつね、生年不詳 - 元久2年6月22日1205年7月10日))は、平安時代末期から鎌倉時代初期の武将畠山重忠の家臣。通称次郎。幼名鬼石丸

略歴[編集]

本田近常はその多くが榛沢成清の名と併記されており、この二人が特に重忠に信頼された側近であることが窺える。治承8年(1184年)、近常は一ノ谷の戦い平清盛の孫・師盛を討ち取った[1]元久2年(1205年)、畠山重忠の乱で自害[2]埼玉県深谷市には現在も指定旧跡として「本田城跡」(北緯36度7分6秒 東経139度16分47秒 / 北緯36.11833度 東経139.27972度 / 36.11833; 139.27972 (本田館跡))が残されている。

参考文献[編集]

  • 『日本史蹟大系-5』(平凡社、1935年、2358p)

脚注[編集]

  1. ^ 本田近常”. 深谷市 (2021年3月24日). 2022年9月13日閲覧。
  2. ^ 平凡社 1935, p. 2358.

関連項目[編集]

外部リンク[編集]