本多政恒

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

本多 政恒 (ほんだ まさつね、宝永2年(1705年)- 宝暦10年10月6日1760年11月13日)) は、加賀藩の家老、人持組本多図書家第2代当主。

父は加賀藩家老本多政冬。正室は本多政質の娘。子は本多政成室。養子は本多政康通称は頼母、図書。

生涯[編集]

宝永2年(1705年)、加賀藩家老本多政冬の子として生まれる。享保11年(1726年)、若年寄席見習に任じられる。享保12年(1727年)、若年寄となる。享保13年(1728年)、父の死去により家督と知行1万1000石を相続する。元文元年(1736年)、家老となる。延享元年(1744年)、藩主前田吉徳より、不和であった本家本多政昌との和解を命じられる。寛延3年(1750年)、家老を免じられる。

宝暦10年(1760年)10月6日死去。享年56。家督は本多伊織政則の子の政康が養子となって相続した。

参考文献[編集]

  • 「加能郷土辞彙」
  • 「藩国官職通考」