斯波義眞

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斯波 義眞(しば よしなお、生没年不詳)は、常陸国水戸藩士。かつての高水寺城城主家斯波氏後裔。斯波詮国(孫三郎)の次男。は素端、能書、乱気。兄は斯波行詮(三郎兵衛)。

初め水戸藩附家老中山信治の下におり、後に源義公[1]に12人[2]月俸の水戸藩士として仕えるが、後に乱心し、死去。

脚注[編集]

  1. ^ なお、徳川頼房(威公)を源威公ともいうことから徳川光圀(義公)のことと思われる。
  2. ^ 一説15人月俸とも

参考文献[編集]

  • 『奥州斯波系図』