徳重伍介

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徳重 伍介(とくしげ ごすけ、1888年11月[1] - 終戦直後没[2])は、日本満洲国教育者

経歴[編集]

徳重義一の五男として、福岡県に生まれる[1]。1906年福岡県立中学修猷館[3]を経て、1912年東京高等商業学校専攻部貿易科を卒業[4]

1913年大阪市立大阪甲種商業学校教諭兼大阪高等商業学校講師となり、山口高等商業学校教授を経て、満洲国立大学哈爾濱学院教授に就任。1942年12月大連高等商業学校校長に就任[1]

親族[編集]

  • 子 富永孝子(文筆家)[2]

脚注[編集]

  1. ^ a b c 『大衆人事録第14版 外地・満支・海外篇』(帝国秘密探偵社、1943年)関東州29頁
  2. ^ a b 『交通安全教育 4月号』55頁。
  3. ^ 『修猷館同窓会名簿 修猷館235年記念』(修猷館同窓会、2020年)同窓会員6頁
  4. ^ 『人事興信録第14版』(人事興信所、1943年) ト-31頁

参考文献[編集]

  • 『交通安全教育 4月号』日本交通安全教育普及協会、1989年。