平野長政

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平野 長政(ひらの ながまさ、寛永19年(1642年) - 元禄13年7月27日1700年9月10日))は、大和交代寄合表御衆田原本3代領主。七沢清宗の長男。母は増山氏(泉光院)。宝樹院江戸幕府4代将軍徳川家綱生母)、増山正利那須資弥の異父弟、蓮華院(毛利元知室)の同父兄弟にあたる。正室は織田高長の娘。継室は木下利貞の娘。子に平野長英、長重、六之助、養女(平野長喜室)。通称六之助、権佐。官位は従五位下、丹波守(寛文7年(1667年)12月29日叙任)。法名は休祥。

異父姉の宝樹院(お楽の方)が、将軍家綱の生母であったため、明暦2年(1656年)12月8日、家綱の命で平野長勝の養子となり、寛文9年(1669年)3月13日に遺領を相続する。母の泉光院存命中は江戸に定府した。天和2年(1682年)、朝鮮通信使の饗応役を駿府にて務める。元禄13年に江戸で没した。子の長英が遺蹟を継いだ。

参考文献[編集]