市川子團次 (3代目)

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三代目 市川 子團次(いちかわ ねだんじ、大正9年〈1920年7月17日 - 平成5年〈1993年12月28日)は、歌舞伎役者屋号高島屋定紋は三升に子の字、替紋は松川菱に鬼蔦。本名は須原 道夫(すはら みちお)。

東京生まれ。二代目市川米升の子で、祖父が五代目市川小團次、曾祖父が幕末の大看板だった四代目市川小團次である。

昭和11年 (1936) 10月明治座の『連獅子』で二代目市川鯱丸を名のって初舞台。昭和16年 (1941) 3月明治座『鳥辺山心中』の茶屋の娘で三代目市川子團次襲名して名題昇進。以後は脇役として活躍、戦後の一時期、舞台を離れテレビに活躍の場を移した時期もあったが、昭和38年 (1963) に菊五郎劇団に加わり大歌舞伎の舞台に復帰した。

渋い役柄を得意とし、黙阿弥世話物などには欠かせぬ存在として重宝された。