山中英元

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

山中 英元(やまなか ひでもと、貞享4年(1687年) - 正徳5年(1715年9月24日)は、日本の江戸時代郷士。鴻池村山中総本家の6代目当主。出雲国の戦国武将山中幸盛の子孫。山中良辰(山中元武)(新右衛門)の次男。幼名は源助。通称は(6代)山中新右衛門と称した。

墓所兵庫県伊丹市鴻池の慈眼寺境内墓地にある。法号は燈外円明居士。享年28。

生涯[編集]

山中良辰(山中元武)の次男として生まれた。元和5年(1619年)に山中家(鴻池屋)の始祖である山中幸元は、大坂・久宝寺町松屋町に出て酒造業をなして出世し、豪商となったが、鴻池村の本家は曾祖父である山中元英が相続し継承した。諸事情により5代目は叔父である山中元浄が家督を継ぐ事となったが、後に家督を相続し6代目山中新右衛門を名乗った。

参考文献[編集]

  • 宮本又次『鴻池善右衛門』 吉川弘文館
  • 『伊丹・鴻池の歴史』
  • 『鴻池家年表』 鴻池合名会社

関連項目[編集]

先代
山中元浄
山中氏歴代当主
? - 1715年
次代
山中元孚