小野盛綱

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小野盛綱
時代 鎌倉時代前期
生誕 不明
死没 不明
別名 下総前司[1][2]
氏族 横山氏
父母 父:小野成綱
兄弟 義成盛綱、女子(梶原景高妻)[1]
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小野 盛綱(おの もりつな)は、鎌倉時代前期の武将横山党

経歴[編集]

承久3年(1221年後鳥羽上皇の召により伺候する[1]承久の乱では京方に属し、同年5月、上皇の命により京都守護伊賀光季を討った[3][2]。翌6月には官軍として美濃国摩免戸に陣したが敗走し、近江国供御瀬に陣した[4]。時を同じくして甥の成時は宇治橋に陣したがともに敗れ、成時は宇治で戦死、盛綱は逃亡し守護職を没収された[4]

脚注[編集]

  1. ^ a b c 安田 1985, 112頁.
  2. ^ a b 上田ほか 2001, 456頁.
  3. ^ 安田 1985, 112-113頁.
  4. ^ a b 安田 1985, 113頁.

参考文献[編集]

  • 安田元久 編『鎌倉・室町人名事典』新人物往来社、1985年。ISBN 4404013027 
  • 上田正昭ほか 監修『講談社日本人名大辞典』講談社、2001年。ISBN 4062108496