小西秀次

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小西 秀次(こにし しゅうじ、1911年10月1日[1] - 1990年7月17日)は、日本の実業家キリンビール社長、会長を務めた。三重県出身[1]

経歴[編集]

1937年京都帝国大学法学部を卒業し、同年にキリンビールに入社[1]

1966年に横浜支店長に就任し、営業部長、取締役、常務、専務を経て、1978年4月から1984年4月までに社長を務め、1984年4月から1988年までに会長を務めた[1]。1988年から顧問を務めた[1]

専務在任時から1976年にはビール販売シェア63.8%と史上最高を達成し、シェア60%台を維持するなどキリンの黄金時代を築き上げた[2]

1990年7月17日急性心筋梗塞のために死去[2]。78歳没。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e 人事興信所 1985, こ49頁.
  2. ^ a b 1990年 7月19日 日経産業新聞 p31

参考文献[編集]

  • 人事興信所 編『人事興信録 第33版 上』人事興信所、1985年。 
先代
佐藤保三郎
キリンビール社長
1978年 - 1984年
次代
本山英世