小柏丑二

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小柏 丑二おがしわ ちゅうに[疑問点]1889年明治22年)6月3日[1] - 没年不明)は、東京市区長。教育者。

経歴[編集]

石川県金沢市出身[1]旧制第四高等学校を経て、1915年大正4年)に東京帝国大学文科大学国文科を卒業[1]広陵中学校教諭を務めた後、1919年(大正8年)に島根県立杵築中学校教諭となった[1]1922年(大正11年)、福岡高等学校教授に就任[1]1923年(大正12年)、群馬県立沼田中学校校長に転じ、1930年(昭和5年)からは岐阜県岐阜中学校校長を務めた[1]

1934年(昭和9年)、東京市に入り、教育局視学課長、同学務課長を歴任した[1]1939年(昭和14年)から本所区長に転じ[1]東京市本所高等実践女学校の校長事務取扱などを務めた[2]

戦後は新宿区教育委員長を務めた[3]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g h 日本官界名鑑 1940, p. コ四.
  2. ^ 学校沿革”. 東京都立本所高等学校. 2019年8月16日閲覧。
  3. ^ 『新宿区史』新宿区、1955年、p.1060。

参考文献[編集]

  • 日本官界情報社編『日本官界名鑑 昭和十五年版』日本官界情報社、1940年。