小山田庄左衛門

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内, 検索

小山田 庄左衛門(おやまだ しょうざえもん、生没年不詳)は、江戸時代前期の武士赤穂藩浅野氏の家臣。赤穂藩では江戸詰め100石。

父は江戸詰めの赤穂藩士小山田一閃。父の隠居後、庄左衛門が家督を継ぎ、江戸詰め100石となる。

赤穂藩改易後、大石良雄による仇討ちの盟約に早くから加わり、本所林町五丁目に堀部武庸と住んでいたが、のち同志の片岡高房から金5両と小袖を盗んで逃亡した。なお、元禄15年(1702年)12月15日の討ち入り後、父・一閃は詳細を知りこれを恥じて12月18日に切腹している。

享保6年(1721年)1月15日、深川万年町冬木店に住む中島隆碩という医者の夫妻が、下男の直助に殺害された事件が起こった。『享保通鑑』は中島隆碩が赤穂藩主・浅野長矩に仕えていたことを記しているため、これが小山田庄左衛門であるとしているが真相は不明。なお、事件は講談『直助権兵衛』として描かれている。

[編集] 関連項目

個人用ツール
名前空間

変種
操作
案内
ヘルプ
ツールボックス