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宮原 義辰(みやはら よしとき、寛永3年(1626年) − 寛文9年12月2日(1670年1月23日))は、江戸時代前期の高家旗本。宮原晴克の長男。通称は主膳。
寛永19年(1642年)12月23日、父晴克の死去により家督を相続する。正保元年(1644年)2月15日、将軍徳川家光に御目見する。寛文9年(1669年)12月2日死去、44歳。法号は源心。
正妻は織田信政の娘。子女に長男義真、次男喜連川氏春(喜連川昭氏養子)、長女(杉浦政令妻)の2男1女あり。
宮原家4代当主(1642年 - 1669年) |
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