足利聡氏
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| 足利 聡氏 | |
|---|---|
| 時代 | 江戸時代末期(幕末) - 明治時代 |
| 生誕 | 安政4年4月13日(1857年5月6日) |
| 死没 | 不詳(大正10年(1921年)1月21日とも) |
| 改名 | 延喜久(幼名)、聡氏 |
| 墓所 | 東京都台東区の台徳院正覚寺 |
| 官位 | 従五位下、左馬頭 |
| 幕府 | 江戸幕府 |
| 藩 | 下野喜連川藩主 |
| 氏族 | 宮原氏→喜連川氏→宮原氏 |
| 父母 | 父:宮原義直、養父:喜連川縄氏 |
| 兄弟 | 宮原義路、聡氏 |
| 妻 | うめ |
| 子 | 養子:於菟丸、宮原厳夫 |
足利 聡氏(あしかが さとうじ)は、江戸時代の大名。下野喜連川藩の第12代(最後)の藩主。
生涯 [編集]
幕臣1400石高家職・宮原摂津守義直の次男として江戸に生まれる。実母は宮原家家女。明治2年(1869年)4月8日に先代縄氏の養嗣子となり、同年5月5日に縄氏が隠居したために家督を相続した。同年6月18日従五位下・左馬頭に叙任。
明治3年(1870年)7月18日に版籍奉還し、喜連川藩は日光県に合併された。同日に東京在住を命じられ、明治4年(1871年)2月5日に永世禄として現米193石を下賜された。足利氏に復姓する。
明治9年(1876年)9月3日病のため隠居、先代縄氏の長男・足利於菟丸を養嗣子とし家督を譲る。同年9月25日、実家宮原氏へ復籍する。なお、隠居・離籍の本当の理由は、債務返済の行き詰まりのためであった。大正10年(1921年)1月21日に死亡。享年62。妻のうめは昭和17年(1943年)1月17日に死亡。享年71。家督は子の巌夫が相続した。
参考文献 [編集]
聡氏の出自については以下の文献に記述がある。
- 「華族明細短冊」(東京大学史料編纂所々蔵)には「実祖父従四位少将宮原故義周 元高家 実父宮原方斎義直 元高家」
- 「下野喜連川足利家譜」(東京大学史料編纂所々蔵「栃木県史」史料編 近世4 1975同県に当主略譜のみ抄録)には「宮原弾正大弼義路養方ノ弟」
- 「平成新修華族家系大成」(1996霞会館)には「宮原方斎二男」とそれぞれ記述される。
- 実父宮原義直については太田亮「姓氏家系大辞典」3(1963角川書店)や「大日本人名辞書」4(1887初版1974講談社復刊)にも記述がある。
- 養兄宮原義路については国立公文書館所蔵「明細短冊」(「江戸幕臣人名事典」4所収)と岡部家所蔵「(岡部)系譜」と「(岡部豊常)親類書」(「京都町奉行日記」安政三年編 1995新人物往来社所収)に記述がある。
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