安倍興氏

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安倍 興氏(あべ の おきうじ、生没年不詳)は、平安時代前期の貴族朝臣官位従五位下薩摩守

経歴[編集]

清和朝貞観3年(861年上野国で発生した神人継道による布師貞の殺害事件を推断するために、治部少丞として同国に派遣される[1][2]。治部大丞に昇任後、貞観9年(867年従五位下叙爵し、貞観11年(869年薩摩守として地方官に転じた。

官歴[編集]

日本三代実録』による。

脚注[編集]

  1. ^ 『日本三代実録』貞観3年10月28日条
  2. ^ 阿部 2009, 25頁.

参考文献[編集]

  • 経済雑誌社 編『国史大系 第4巻 日本三代実録』経済雑誌社、1901年https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/991094 
  • 阿部猛『日本古代人名辞典』東京堂出版、2009年。ISBN 4490107617