多田通

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多田通
ただ とおる
生年月日 1857年
出生地 日本の旗 日本 長崎県
没年月日 1910年5月2日
前職 果樹園経営

選挙区 長崎県第6選挙区
当選回数 2回
在任期間 1889年 - 1902年8月9日
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多田 通(ただ とおる、1857年安政4年5月[1]) - 1910年明治40年)5月2日[1])は、日本の政治家衆議院議員(2期)。

経歴[編集]

長崎県出身[1]。藩校で学ぶ[1]。金城中学校を創立し、子弟教育に尽力した[1]。のち、朝鮮平壌果樹園を経営した[1]

1898年3月の第5回衆議院議員総選挙において長崎6区から国民協会公認で立候補して当選した[2]。続く同年8月の第6回衆議院議員総選挙で再選した[3]。衆議院議員を2期務め、1902年第7回衆議院議員総選挙は不出馬。1910年死去。

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』368頁。
  2. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』29頁。
  3. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』34頁。

参考文献[編集]

  • 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。