吉弥侯部真麻呂

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吉弥侯部 真麻呂(きみこべ の ままろ、生年不詳 - 延暦14年(795年)5月)は、奈良時代俘囚位階従五位下

経歴[編集]

称徳朝神護景雲元年(767年)10月、伊治城築城終了の行賞にあたっての天皇の勅により、狄徒を馴服させた功により、従五位下から正五位下に叙せられている[1]。ただし、この真麻呂が、以下の記述の真麻呂と同一人物であるのかは不明である。かりに同一人物だとすると、何らかの理由で位階を剥奪されていた可能性がある。

桓武朝延暦11年(792年朝廷に帰服した蝦夷に対する懐柔を目的に、同じく陸奥国俘囚であった大伴部宿奈麻呂とともに従五位下に叙せられる[2]。延暦14年(795年)5月に大伴部阿弖良らによって子息とともに殺害される。これにより、阿弖良とその妻子66名は日向国に移された[3]

なお吉弥侯部浮田国造の一族の氏で上毛野国造の同族である。

官歴[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 『続日本紀』神護景雲元年10月15日条
  2. ^ 『日本後紀』延暦11年10月1日条
  3. ^ 『日本後紀』延暦14年5月10日条

参考文献[編集]

関連事項[編集]