叱奴太后

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叱奴太后(しつぬたいごう、? - 574年)は、北周武帝の生母。宇文泰の側室。本貫代郡

経歴[編集]

宇文泰が西魏丞相となると、叱奴氏は側室として迎えられ、宇文邕(武帝)と宇文直を生んだ。武帝即位後の567年6月、皇太后となった。572年宇文護が含仁殿で叱奴太后と面会し、『書経』の「酒誥」の一節を読んでいたとき、武帝が玉笏で宇文護の背を打ち、宇文直が宇文護の頭を割って殺害した。これにより武帝の親政が開始された。574年3月癸酉、太后は死去した。4月丁巳、永固陵に葬られた。を宣といった。

伝記資料[編集]

  • 周書』巻九 列伝第一 皇后
  • 北史』巻十四 列伝第二 后妃下