北条俊時

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
北条俊時
時代 鎌倉時代
生誕 不明
死没 正慶2年/元弘3年5月22日1333年7月4日
別名 塩田俊時
官位 中務大輔民部大輔
幕府 鎌倉幕府評定衆
主君 北条高時
氏族 北条氏
父母 父:北条国時
兄弟 藤時俊時
テンプレートを表示

北条 俊時(ほうじょう としとき) は、鎌倉時代末期の武士北条国時の嫡男。

元徳元年11月11日1329年12月2日)、評定衆に任じられ、同3年1月23日1331年3月2日)、四番引付頭人に就任した。(『鎌倉年代記』)

元弘3年(1333年)5月22日、鎌倉幕府の滅亡に伴い死去。

『太平記』巻十「塩田父子自害事」によると、父・国時の自害を促すため、自分の腹を掻き切り自害して果てた。

参考文献[編集]

  • 『鎌倉年代記』(増補 続史料大成)
  • 『金沢文庫古文書』(神奈川県立金沢文庫刊)

関連項目[編集]