内藤忠辰

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

内藤 忠辰(ないとう ただとき、生没年不詳)は、幕末の幕臣。通称、茂之助。

嘉永7年(1854年)1月、納戸頭より佐渡奉行となり、同5月6日に着任。通称をのちに新十郎と改名。知行は200石、役料1500俵百人扶持。安政6年(1859年)まで在勤したと思われる。その後、普請奉行に転任した。

参考文献[編集]

  • 越佐人物誌(牧田利平編 野島出版 昭和47年)