元献皇后

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元献皇后(げんけんこうごう、? - 729年)は、玄宗の妃嬪で粛宗の生母。皇后を追贈された。皇妃として楊貴嬪とも呼ばれる。

生涯[編集]

景雲元年 (710年)8月、皇太子の李隆基(後の玄宗)の後宮に入った。まもなく妊娠したが、その頃玄宗は太平公主の勢力を恐れ、子供も新たには欲せず、楊氏の子を堕胎しようとした。しかし、玄宗は自ら堕胎薬を煮ている間に、薬缶がひっくり返る夢を見た。玄宗は夢の内容を張説と相談した。張説が堕胎が不吉と言したため、玄宗は取りやめた。粛宗は無事に誕生した。

玄宗の即位後に斉国公主を出産んだ。玄宗は張説が息子の命を救ってくれたことに感謝するために、斉国公主を張説の次男張垍と結婚させた。

開元17年(729年)、病死した。細柳原に葬された。

没後9年目(738年)、粛宗は皇太子に立てられた。粛宗が即位し、上皇の命令によって元献皇后と追贈された。泰陵に改葬された。

伝記資料[編集]