佐土原遠江守

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佐土原遠江守
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 不明
死没 不明
改名 道雲(法名)
主君 伊東義祐
氏族 佐土原氏
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佐土原 遠江守(さどわら とおとうみのかみ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将日向伊東氏の家臣。実名は不明。伊東四十八城の一つ・日向国諸県郡綾城主。桶平城代。

略歴[編集]

佐土原氏は、伊東氏5代当主・伊東貞祐の子で祐持(日向伊東氏の祖)の弟・佐土原祐藤を祖とする。

永禄11年(1568年)、伊東祐安は城主・島津義弘不在の飯野城を攻めたが義弘に気付かれ、睨み合いとなったため桶平城を築き、遠江守はその際に城代を務めた。しかし、島津軍の遠矢良賢黒木実利などの侵攻を食い止めれず敗北を喫する。加えて翌永禄12年(1569年)に伊東義祐の息子義益が急死したため、伊東軍は桶平城に火を放ち飯野・田原陣から撤退した。

天正5年(1577年)、伊東氏が豊後国へ一時的に退去する際には、主君である伊東義祐祐兵親子に付き従った。