丹治伊三郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

丹治 伊三郎(たんじ いさぶろう、1902年1月7日 - 1981年)は、日本の画家洋画家

印象派の技巧を取り入れた画風を確立、主に関西画壇で活動した。

経歴[編集]

1902年(明治35年)大阪府堺市に生まれる。旧制堺中学校(現大阪府立三国ヶ丘高等学校)を卒業後、東京美術学校洋画科に入学して岡田三郎助に師事[1]1926年(大正15年)同校を卒業、一陽会に入会して創作活動を続ける。後に神戸山手女子短期大学教授[2]

脚注[編集]

  1. ^ 三丘ゆかりの芸術作品” (三丘同窓会). 2022年7月14日閲覧。
  2. ^ 丹治伊三郎『出身県別 現代人物事典 西日本版』p933 サン・データ・システム 1980年