中村雅真

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中村 雅真(なかむら がしん、1854年(安政元年3月[1])- 1943年(昭和18年)2月21日[2][3])は、明治から昭和時代戦前の政治家貴族院多額納税者議員奈良県添上郡奈良町長。

経歴[編集]

大和国添上郡奈良西御門町[2](現奈良市西御門町)で、中村尭円の二男として生まれ、1886年(明治19年)家督を相続する[1]

亡き父の後を受けて興福寺に仕え、維新後は信徒総代として会計監督に任じた[1]1873年(明治6年)以降、鳴川町小学校訓導、大和国一大区一小区副戸長、奈良役所部内第一連合戸長などを務めた[3]

1884年(明治17年)大阪府会議員に当選[2][3]。1887年(明治20年)大阪府から奈良県が独立し第1回奈良県会議員に当選[2][3]。1889年(明治22年)奈良町長に就任した[2][3]。ほか、奈良帝室博物館学芸委員を務めた[1][2]

1890年(明治23年)に奈良県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日から[4]1897年(明治30年)9月28日まで務めた[3]1926年(大正15年)隠退した[1]

本宅は奈良市登大路町にあったが[1][2]、同市山ノ上町の別邸で死去した[2]。興福寺の復興に尽くしたことから、告別式は同寺本坊で寺葬として執り行われた[2]

親族[編集]

脚注[編集]

  1. ^ a b c d e f g 人事興信所 1928, ナ78頁.
  2. ^ a b c d e f g h i 『郷土歴史人物事典 奈良』125頁。
  3. ^ a b c d e f 衆議院、参議院 1960, 205頁.
  4. ^ 『官報』第2179号、明治23年10月2日。

参考文献[編集]