不破熊雄

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不破 熊雄(ふわ くまお、1871年明治4年11月[1])- 没年不詳)は、日本の実業家

経歴・人物[編集]

福岡藩士不破國雄の二男として福岡県に生まれる[1]。 1890年福岡県立尋常中学修猷館[2]、1892年第五高等中学校工科[3]を経て、1895年帝国大学工科大学機械工学科を卒業[4]

1895年三井工業部に入社し、芝浦製作所に勤務した後、第五高等学校工科教授を数年務め、三井鉱山技師に転じる。 1911年欧米各国の鉱山界を視察し、帰国後山野炭鉱所長、田川炭鉱所長を経て、取締役となる。 三井窒素工業社長・会長、東洋高圧工業(現・三井化学)取締役も兼任している。

退任後は三井合名会社重役待遇となる。

脚注[編集]

  1. ^ a b 『人事興信録 第10版』フ1頁。
  2. ^ 『修猷館同窓会名簿 修猷館235年記念』(修猷館同窓会、2020年)同窓会員1頁
  3. ^ 『第五高等学校一覧(自昭和11年至昭和12年)』(第五高等学校編、1936年)174頁
  4. ^ 『東京帝国大学一覧(從大正7年至大正8年)』(東京帝国大学、1919年)學士及卒業生姓名181頁

参考文献[編集]

  • 『人事興信録 第10版』人事興信所、1934年、フ1頁。