三谷哲康

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発見した小惑星
(1619) 上田 1953年10月11日

三谷 哲康(みたに てつやす[1]1926年[注釈 1] - 2004年8月9日)は、日本の天文学者。

生涯[編集]

1926年[注釈 1]、鳥取県生まれ[3]

1944年、京都帝国大学生駒山太陽観測所に所属[3][1]。1946年より花山天文台に勤務[3]。第二次世界大戦中・戦後の厳しい状況下で、多くの小惑星・彗星[3][1]や、冥王星[1]の観測にあたった。1953年に小惑星 (1619) 上田を発見(命名は花山天文台長上田穣にちなむ)。1954年には本田・ムルコス・パイドゥシャーコヴァー彗星の回帰を検出した[3][1]

1957年から1960年にかけて、極東米国陸軍地図局のもとで測地学的調査のための掩蔽観測に従事している[1]

2004年8月9日死去。77歳没[3]

三谷の名は (3289) 三谷に命名されている[4]

脚注[編集]

注釈[編集]

  1. ^ a b 国会図書館の館典拠データ検索・提供サービスによる[2]。1927年とする記述もある[3]

出典[編集]

  1. ^ a b c d e f (3289) Mitani”. The Minor Planet Center. 2019年3月2日閲覧。
  2. ^ “三谷, 哲康, 1926-”, 国立国会図書館典拠データ検索・提供サービス (国立国会図書館) 
  3. ^ a b c d e f g 故三谷哲康氏の12cmコメットシーカー”. 天体望遠鏡博物館. 2019年3月2日閲覧。
  4. ^ (3289) Mitani = 1934 RP = 1973 SQ2”. MPC. 2021年9月5日閲覧。