七里清介

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七里 清介(しちり せいすけ、1858年9月1日安政5年7月24日[1] - 1917年大正6年)1月9日[2])は、日本の政治家衆議院議員(2期)。

経歴[編集]

大阪府出身[2]。大阪運河(株)社長、大阪電気軌道(株)取締役箕面有馬電気軌道(株)監査役となる[2]

1904年第9回衆議院議員総選挙において大阪市選挙区から甲辰倶楽部公認で立候補して当選した[3]1908年第10回衆議院議員総選挙は不出馬。1912年第11回衆議院議員総選挙では中央倶楽部から立候補して再選した[4]。衆議院議員を2期務め、1915年第12回衆議院議員総選挙には出馬しなかった。1917年に死去した。

脚注[編集]

  1. ^ 衆議院『第二十九回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1912年、17頁。
  2. ^ a b c 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』307頁。
  3. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』45頁。
  4. ^ 『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』53頁。

参考文献[編集]

  • 日本国政調査会編『衆議院名鑑 第1回・1890年~第34回・1976年総選挙』国政出版室、1977年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。