レオポルド・デ・メディチ

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枢機卿レオポルド・デ・メディチ像、ウフィツィ美術館

レオポルド・デ・メディチ(Leopoldo de' Medici, 1617年11月6日 - 1675年11月16日)は、イタリア枢機卿、学者。芸術のパトロンであった。

トスカーナ大公コジモ2世・デ・メディチと妃マリーア・マッダレーナの末息子として、フィレンツェで生まれた。フラヴィアーノ・ミシェリーニエヴァンジェリスタ・トリチェリの師であるヤコポ・ソルダーノに教育された。兄フェルディナンド2世・デ・メディチが大公になると、産業・農業・貿易担当の助言者となった。

レオポルドは科学に深い興味を持ち、1638年にアカデミア・プラトニカ(プラトン・アカデミー)を兄フェルディナンドとともに設立。1657年にアカデミア・デル・チメントを設立。1641年にはクルスカ学会のメンバーの一人となった。

レオポルドは希少な文書・絵画、彫像・硬貨・自画像などの偉大な収集家であった(ウフィツィ美術館ヴェネツィア・コレクションは、彼の収集したものが大半を占める)。

1667年12月、彼はクレメンス9世によりサン・コズマ・エ・ダミアーノ枢機卿に任命された。この頃からレオポルドはしばしばローマへ旅するようになり、彼の芸術的興味を追求した。