ルイーゼ・ドロテア・フォン・ザクセン=マイニンゲン

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ルイーゼ・ドロテア・フォン・ザクセン=マイニンゲン
Luise Dorothea von Sachsen-Meiningen

出生 (1710-08-10) 1710年8月10日
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
ザクセン=マイニンゲン公領、コーブルク
死去 (1767-10-22) 1767年10月22日(57歳没)
神聖ローマ帝国の旗 神聖ローマ帝国
ザクセン=ゴータ=アルテンブルク公領、ゴータ
配偶者 ザクセン=ゴータ=アルテンブルクフリードリヒ3世
子女 本文参照
家名 ヴェッティン家エルンスト系
父親 ザクセン=マイニンゲンエルンスト・ルートヴィヒ1世
母親 ドロテア・マリア・フォン・ザクセン=ゴータ=アルテンブルク
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ルイーゼ・ドロテア・フォン・ザクセン=マイニンゲン

ルイーゼ・ドロテア・フォン・ザクセン=マイニンゲンドイツ語:Luise Dorothea von Sachsen-Meiningen, 1710年8月10日 - 1767年10月22日)は、ザクセン=ゴータ=アルテンブルクフリードリヒ3世の妃。

生涯[編集]

ルイーゼ・ドロテアはザクセン=マイニンゲンエルンスト・ルートヴィヒ1世とドロテア・マリア・フォン・ザクセン=ゴータ=アルテンブルクの娘である。1729年にザクセン=ゴータ=アルテンブルクフリードリヒ3世・フォン・ザクセン=ゴータ=アルテンブルクと結婚し、1732年に夫フリードリヒ3世はザクセン=ゴータ=アルテンブルク公となった。

高い教育を受け感受性の豊かであったルイーゼ・ドロテアは、ザクセン=ゴータ=アルテンブルクがテューリンゲンの文化の中心地に発展するのに重要な役割を果たした。ルイーゼ・ドロテアは夫の政治に大きな影響を与え、公国の統治機関である枢密院会議に定期的に出席した。ルイーゼ・ドロテアは啓蒙主義の確固たる支持者であったが、ヴォルテール、フリードリヒ・メルヒオール・グリム、マントイフェル伯、ヨハン・クリストフ・ゴットシェート夫妻など、同時代の著名な人々と手紙で連絡を取り合い、生涯を通じて絶対主義に傾倒していた[1]

ルイーゼ・ドロテアの招きを受け、ヴォルテールは1753年4月15日から5月25日までゴータに滞在し、次のようにルイーゼ・ドロテアのもてなしと宮廷を絶賛した:「ゴータ城において、美徳は平和に育まれます」「私の目には、あなたの宮廷ほど美しいものはありません […] 私は決してそこを離れるべきではありませんでした」「私は恩寵、理性、精神、慈善、平和の神殿にいました」[2]。ヴォルテールはまた、ルイーゼ・ドロテアを「地球上で最高の公妃」「ドイツのミネルウァ」と呼んだ。また、ルイーゼ・ドロテアはプロイセン王フリードリヒ大王とも文通しており、フリードリヒ大王は1762年12月3日および4日にフリーデンシュタイン城のルイーゼ・ドロテアを訪ねた。

1767年10月21日に書かれた遺書の中で、ルイーゼ・ドロテアは次のように記している:「私は、自らの遺体が、事前に開かれることなく、また飾り立てられることなく、エルンスト公とその妃の足元にあるマルガレーテ教会にできるだけ手短かつ静かに埋葬されることを望みます」[3]。マルガレーテ教会に制作が計画されていた墓は、最初は有名なフランスの彫刻家ウードン、後にゴータ宮廷彫刻家フリードリヒ・ヴィルヘルム・オイゲン・デルに制作が委託されたが、実現することはなかった。内陣の下の地下室にあったルイーゼ・ドロテアの簡素な墓石は後の改修工事でおそらく撤去され、今日、身廊にはその埋葬地を示すものはない。

結婚と子女[編集]

1729年9月17日にゴータにおいてフリードリヒ3世と結婚し、9子が生まれたが、5子は早世した。

  • フリードリヒ・ルートヴィヒ(1735年1月20日 - 1756年6月9日) - 公世子
  • ルートヴィヒ(1735年10月25日 - 1735年10月26日)
  • 男子(1735年10月25日)
  • 男子の双子(1739年)
  • フリーデリケ・ルイーゼ(1741年1月30日 - 1776年2月5日)
  • エルンスト2世(1745年1月30日 - 1804年4月20日) - ザクセン=ゴータ=アルテンブルク公
  • ゾフィー(1746年3月9日 - 1746年3月30日)
  • アウグスト(1747年8月14日 - 1806年9月28日)

その他[編集]

ザクセン・ゴータ・アルテンブルク家で最も重要な公妃ルイーゼ・ドロテアは親仏派であり、ゴータ・オランジェリーはフランスの様式に基づいて設計された。1747年、公爵夫妻はヴァイマル出身の建築家であるゴットフリート・ハインリヒ・クローネに、複合施設の設計と建設を依頼した。しかし建設期間が長かったため(七年戦争中の遅延などによる)、ルイーゼ・ドロテアは庭園の完成を見ることができなかった。

ゴータから南に20km離れた場所には、今でもルイーゼ・ドロテアの名前が残されている。1753年、フリードリヒ3世はオーラ渓谷にあった鉄製錬所「Schwarzwälder Hammer」を手に入れ、1753年10月1日に妻に敬意を表してこの地をルイゼンタールと命名した。

ゴータのドロテン通りもルイーゼ・ドロテアにちなんで名付けられた。

3,500冊以上の本を収蔵していたルイーゼ・ドロテアの私立図書館は、現在もゴータ研究図書館にすべて収蔵されている[4]

2016年9月17日、ルイーゼ・ドロテアの記念碑の礎石がフリーデンシュタイン城の南の水上に設置された。2017年4月22日、ルイーゼ・ドロテアの没後250周年を記念して、彫刻家ベルント・ゲーベルが制作したルイーゼ・ドロテアのブロンズ彫刻が公開された。

遺産[編集]

  • プロイセン王フリードリヒ2世との往復書簡:Correspondance de Frédéric avec la Duchesse Louise-Dorothée de Saxe-Gotha, in: Oeuvres complètes de Frédéric le Grand. Hrsg. von Johann David Erdmann Preuß, Berlin 1846–56, Bd. 18 (= Correspondance, Bd. 3), pp. 163–256.

脚注[編集]

  1. ^ Christoph Streckhardt: „Das Gelehrtennetzwerk Herzogin Luise Dorotheas von Sachsen-Gotha-Altenburg und die Politik einer literarischen Hofkultur“, in: Stiftung Schloss Friedenstein Gotha (Hrsg.): Voller Esprit und Wissensdurst. Herzogin Luise Dorothea von Sachsen-Gotha-Altenburg (1710-1767). Mit einer kommentierten Edition ihres Nachlassinventars. Gotha 2017, pp. 45–80
  2. ^ Bärbel Raschke, Der Briefwechsel zwischen Luise Dorothée von Sachsen-Gotha und Voltaire 1751–1767, Leipzig 1998
  3. ^ Jenny von der Osten: Luise Dorothee Herzogin von Sachsen-Gotha 1732–1767, Leipzig 1893, p. 274
  4. ^ Die Privatbibliothek von Herzogin Luise Dorothea (Forschungsbibliothek Gotha)”. 2023年3月12日閲覧。

参考文献[編集]

  • Günter Berger / Bärbel Raschke: Luise Dorothea von Sachsen-Gotha-Altenburg – Ernestinerin und Europäerin im Zeitalter der Aufklärung. Regensburg 2017
  • Herbert Hömig: Luise Dorothea, Herzogin von Sachsen-Gotha-Altenburg, geborene Prinzessin von Sachsen-Meiningen. In: Neue Deutsche Biographie (NDB). Band 15, Duncker & Humblot, Berlin 1987, ISBN 3-428-00196-6, S. 502 f. (電子テキスト版).
  • Karl Koetschau: Fürstin Luise Dorothee – Eine Freundin von Friedrich dem Großen und Voltaire. Berlin 1941
  • Jenny von der Osten: Luise Dorothee Herzogin von Sachsen-Gotha 1732-1767. Leipzig 1893
  • Bärbel Raschke: Der Briefwechsel zwischen Luise Dorothée von Sachsen-Gotha und Voltaire 1751-1767. Leipzig 1998
  • Bärbel Raschke: Der Briefwechsel zwischen Luise Dorothea von Sachsen-Gotha-Altenburg und Friederike von Montmartin 1751-1752. Gotha 2009
  • Albert Schumann (1884), “Luise Dorothea, Herzogin von Sachsen-Gotha und Altenburg” (ドイツ語), Allgemeine Deutsche Biographie (ADB), 19, Leipzig: Duncker & Humblot, pp. 625–629 
  • Stiftung Schloss Friedenstein Gotha (Hrsg.): Voller Esprit und Wissensdurst. Herzogin Luise Dorothea von Sachsen-Gotha-Altenburg (1710-1767). Mit einer kommentierten Edition ihres Nachlassinventars. Gotha 2017