マリア・アンナ・フォン・エスターライヒ (1718-1744)

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マリア・アンナ
マリア・アンナ

マリア・アンナ・エレオノーレ・ヴィルヘルミナ・ヨーゼファ・フォン・ハプスブルク(Maria Anna Eleonore Wilhelmina Josepha von Habsburg, 1718年9月18日 - 1744年12月16日)は、神聖ローマ皇帝カール6世と皇后エリーザベト・クリスティーネの次女。女帝マリア・テレジアの妹。

生涯[編集]

ウィーンで生まれた。カール6世には皇后との間に4人の子が生まれたが、成人したのはマリア・テレジアとマリア・アンナだけだった。2人はカイザーホーフ宮殿で育った。

成長すると、マリア・アンナはロートリンゲン公子カール・アレクサンダーロートリンゲン公レオポルトの子)と恋に落ちた。カール・アレクサンダーの兄は、マリア・テレジアの夫フランツ・シュテファン(のちの皇帝フランツ1世)であった。カール6世の政治的判断もあり、2人の恋が成就するには多くの障害があった。

父カールの死後しばらくして、マリア・テレジアは結婚の許しを妹たちに与えた。2人は1744年1月、アウグスティーナー教会で挙式した。マリア・アンナ夫妻は叔母マリア・エリーザベト(1680年 - 1741年)の後任として(正確には叔母の死後に総督を務めていたハラッハ=ローラウ伯の後任)、オーストリア領ネーデルラントの総督に任じられてブリュッセルへ赴任していった。

カール・アレクサンダーがプロイセン王国との戦闘に出征している間、第1子を懐妊中のマリア・アンナはブリュッセルへ残っていた。1744年12月16日、マリア・アンナは子供を死産し、自らも急死した。母子はウィーンの皇室納骨堂に葬られた。

その後、カール・アレクサンダーは再婚しなかった。

先代:
フリードリヒ・アウグスト・フォン・ハラッハ=ローラウ
オーストリア領ネーデルラント総督
1744年
次代:
カール・アレクサンダー・フォン・ロートリンゲン