ブラントーム

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
移動: 案内検索
ブラントーム
原語表記 Brantôme
品種 サラブレッド
性別
毛色 鹿毛
生誕 1931年
死没 1952年
Blandford
Vitamine
母の父 Clarissimus
生国 フランスの旗 フランス
生産 Haras de Meautry
馬主 エドゥアール・ド・ロチルド
調教師 Lucien Robert
競走成績
生涯成績 14戦12勝(12-0-0-2)
獲得賞金 $1,979,631
テンプレートを表示

ブラントーム (Brantôme) はフランス競走馬である。
2歳時にはフランスの2歳主要レースを無敗のまま制覇し、2歳三冠馬といわれることもある。
3歳時も無敗のままプール・デッセ・デ・プーランリュパン賞ロワイヤルオーク賞凱旋門賞などに勝ったが、ジョッケクルブ賞はインフルエンザのため回避しており仏4冠馬になりそこなっている。
5歳時も最強馬であることを証明するため現役を続け、イギリスのアスコットゴールドカップ制覇を目指したが、シャンティイでの放馬アクシデントの影響により敗れた。
競走馬引退後は、ナチス・ドイツの侵攻によりドイツに送られる経験をしながらも、Vieux Manoirらの産駒を残し、ブラントーム系を発展させた。

生涯[編集]

出自[編集]

ブラントームは1931年にフランス・カルヴァドス県にあるロチルド家(英語読みでロスチャイルド家)所有のモートリ牧場で生まれた。
アイルランド供用の父 Blandfordは、受胎率の低さというハンデを抱えながらも、ダービーステークス馬を4頭を輩出し、イギリス及びフランスでリーディングサイアーになる人気種牡馬である。ブラントームは父に似て体高15.2ハンド(約154cm)と小柄な馬であったが、端正で美しい馬であったとされている。
母Vitamineは27号族に属する馬で、半妹は牝馬ながらパリ大賞に勝つCruditeである。
ブラントームはフランス南西部の街Brantômeから名付けられ、エドゥアール・ド・ロチルド所有馬として、リュシアン・ロベール調教師のもとで競走馬としての調教を受けた。

競走馬時代[編集]

ブラントームは2歳になった1933年6月にロンシャンのマルタンヴァス賞(1000m)でデビューし、ピッチ走法で相手を寄せ付けず、C.ブイヨン騎手が追う暇もないほど楽勝する。
続く7月にはメゾンラフィットのロベールパパン賞(1200m)を2馬身差で1.15.2のレコード勝ち、8月にはドーヴィルのモルニ賞(1200m)を1馬身半差、10月にはロンシャンのグランクリテリウム(1600m)も1馬身半差といずれも着差は広げないものの、ほぼ馬なりのまま制覇して、史上初の仏2歳三冠馬となった。
この年のフリーハンデでは2位に3.5kg差の63kgという高い評価が与えられた。

翌1934年はロンシャンのセヴレ賞(1600m)を3頭立てながら6馬身差で勝つと、プール・デッセ・デ・プーラン(1600m)でも後のパリ大賞優勝馬Admiral Drakeに3馬身差をつけて優勝、距離が伸びたリュパン賞(2100m)も2馬身半差で優勝する。
しかしながら、次はジョッケクルブ賞ではなくイギリス遠征をしてダービーステークスで9戦無敗のColomboや同じBlandford産駒の上がり馬Windsor Ladと勝負するかなど話題が盛り上がるなか、ブラントームはインフルエンザのためジョッケクルブ賞にもダービーステークスにも出走できないまま秋を迎えることになってしまった。
復帰戦は9月のロンシャンのロワイヤルオーク賞(3000m)で、行きっぷりが悪く後方追走する姿に場内からざわめきが起こるも、直線で一気に加速して、ゴール前ではAstronomerを首差交わして優勝した。
10月の凱旋門賞では1.1倍に支持され、先行するアガ・カーン3世所有でこの年のアスコットゴールドカップ優勝馬Felicitation を交わすと、サンクルー大賞優勝馬Assuerusの追撃も2馬身振り切って、2年間無敗の9連勝を達成した。 この年のフリーハンデでは、Admiral DrakeやEastonを5kg近く凌ぐ、68kgという高い評価が与えられた。

ブラントームは、長距離レースを制して最強馬を名乗るため、4歳になった1935年も現役を続け、初戦の5月のエドガールジロワ賞(3800m)を2馬身半差で制すると、カドラン賞(4000m)は15馬身差で4.23.04のレコード勝ちを記録する。
そして、大目標であったイギリスのアスコットゴールドカップ(20f)遠征を決行する。ここにはブラントームが出走することができなかったダービーステークスに加えてセントレジャーステークスにも優勝した英二冠馬Windsor Ladも出走を予定していたが、回避したため英仏最強馬対決は実現しなかった。
しかしながら、またもブラントームに不運が起こり、レースの11日前に放馬してしまいシャンティイの街中を疾走し、3本の脚で落鉄、精神的にもコンディションを崩し、出走を強行するもTiberiusの5着に敗れ、連勝も止まってしまった。
その後、9月に復帰してロンシャンのプランスドランジュ賞を勝って、凱旋門賞連覇に挑むもSamosの4着と敗れた。

種牡馬時代[編集]

モートリ牧場で種牡馬生活を開始したが、ナチス・ドイツの侵攻によりドイツの国立グラディツ牧場へ送られ、終戦をドイツ国内のアルテフェルト牧場で迎えることになった。
戦後、片目の視力を失ってロチルドのもとに帰ったブラントームは1952年にロチルドの死を追うように亡くなった。 ロチルドの跡を継いだギイ・ド・ロトシルト男爵の手には、その産駒Vieux ManoirやDragon Blancが遺され、リーディングサイアーとなったVieux Manoirからも多くの種牡馬が生まれブラントーム系を形成した。

競走成績[編集]

  • 1933年(4戦4勝)
    • グランクリテリウム(1600m)、モルニ賞(1200m)、ロベールパパン賞(1200m)、マルタンヴァス賞(1000m)
  • 1934年(5戦5勝)
    • プール・デッセ・デ・プーラン(1600m)、リュパン賞(2100m)、ロワイヤルオーク賞(3000m)、凱旋門賞(2400m)、セヴレ賞(1600m)
  • 1935年(5戦3勝)
    • カドラン賞(4000m)、プランスドランジュ賞(2400m)、エドガールジロワ賞(3800m)

主な産駒[編集]

  • Pensbury(FR,1940) - 1943年 パリ大賞
  • Vieux Manoir(FR,1947) - 1950年 パリ大賞
  • Dragon Blanc(FR,1950) - 1952年 グランクリテリウム


血統表[編集]

ブラントーム血統ブランドフォード系 / Isonomy S5×S5、St. Simon S5×M5)

Blandford
1919 黒鹿毛
Swynford
1907 黒鹿毛
John o'Gaunt Isinglass
La Fleche
Canterbury Pilgrim Tristan
Pilgrimage
Blanche
1912 鹿毛
White Eagle Gallinule
Merry Gal
Black Cherry Bendigo
Black Duchess

Vitamine
1924 鹿毛
Clarissimus
1913 栗毛
Radium Bend Or
Taia
Quintessence St. Frusquin
Margarine
Viridiflora
1912 黒鹿毛
Sans Souci Le Roi Soleil
Sanctimony
Rose Nini Le Sancy
Rosewood
(F-No.27-a)

外部リンク[編集]