フランソワ=ウジェーヌ・ルソー

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フランソワ=ウジェーヌ・ルソー
François-Eugène Rousseau
アペール兄弟英語版制作の鯉の意匠の花瓶(1878年/1884年)
誕生日 1827年3月17日
出生地 フランスの旗 フランス,パリ
死没年 1890年6月12日
死没地 フランスの旗 フランス,パリ
運動・動向 ジャポニスム
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ブラックモンデザインの食器

フランソワ=ウジェーヌ・ルソー(François-Eugène Rousseau、1827年3月17日 - 1890年6月12日[1])はフランスの工芸家、美術商である。フランスの工芸家と共同して、日本的な意匠の工芸品を作り、フランスのガラス工芸の分野の「ジャポニスム」の流行に貢献した。

略歴[編集]

パリで生まれた。1753年に建てられ建物を借りて父親が1826年から営業していた陶器店の経営を28歳になった1855年に引き継いだ[2]。しばらくして日本のデザインに興味を持つようになり、ガラス器を扱うようになった[3]

同時代の工芸家の新しい技術に興味を持ち、当時セブール焼の工房の絵付師だったマルク=ルイ・ソロン英語版(Marc-Louis Solon:1835–1913)に作品制作を依頼し、ソロンは、「Milès」の名前で作品を制作し[4]、「pâtes rapportées」(「生地重ね英語版(pâte-sur-pâte)」の一種で融かした材料を重ねて、模様を描く)技法を使った製品を創作した[5]

1867年のパリの万国博覧会に出展するために版画家のフェリックス・ブラックモンに依頼し、「北斎漫画」に描かれた動物をデザインした食器のセットを制作した。ブラックモンは「北斎漫画」を1858年に版画家、オーギュスト・ドラートルフランス語版(Auguste Delâtre)の工房で見つけていた[6]。この食器のセットは200点を超える注文が得られて、陶磁器会社、「Lebeuf, Milliet et Cie」や「Creil-Montereau faience英語版」で製造された。この成功により日本趣味の製品を多く制作するようになった。

その後もアンリ・ランベールHenri Lamberやアール・ヌーヴォーの工芸家、アルフォンス=ジョルジュ・レイエンフランス語版(Alphonse-Georges Reyen:1844-1910)やアペール兄弟(Appert Frères)らに制作を依頼した製品を企画した。

美術商、芸術家として認められ、「装飾美術協会連合(Union centrale des arts décoratifs)」の会員に選ばれ、1872年にレジオンドヌール勲章(シュヴァリエ)を受勲した[1]

1885年からエルネスト・レヴェイエ (Ernest Leveillé:1841-1913)が共同経営者となり、ルソーの没後、ルソーの仕事を継承した。

ギャラリー[編集]

脚注[編集]

参考文献[編集]

  • Giuseppe Cappa, Le génie verrier de l´Europe, éditions Mardaga, (ISBN 2-87009-680-1)
  • Karin Schneck, François Eugene Rousseau : Keramik und Glas an der Schwelle zum Jugendstil, Kunsthistorisches Institut der Freien Universität Berlin, 1988 (thèse).
  • Karin Schneck, « François Eugène Rousseau (1827-1890) : céramique et verrerie à l'aube de l'Art Nouveau », in Annales du 11e congrès de l'association internationale pour l'histoire du verre 1990, vol. 11, 1990, 449 p.