フランク・P・マホニー

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フランク・P・マホニー
Frank P. Mahony
自画像
誕生日 1862年12月4日
出生地 メルボルン
死没年 1916年6月28日
死没地 ロンドン
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フランク・P・マホニー(Frank P. Mahony、本名: Francis Mahony、1862年12月4日 - 1916年6月28日)はオーストラリアの画家、イラストレーターである。雑誌の挿絵などを描き、馬の描写が得意であった。本名は Francis Mahonyであるが 後に"Prout"のミドルネームを用いるようになり、作品に "Frank P. Mahony"の署名をした[1]

略歴[編集]

メルボルンでアイルランド出身の建築家とコーンウォール出身の母親の間に生まれた。10歳でシドニーに移り、建築事務所で製図工として働き始め、シドニーの美術学校(New South Wales Academy of Art)でイタリア人の画家、ジュリオ・アニヴィッティ(Giulio Anivitti)から絵を学んだ[1]。 アンドリュー・ガラン(Andrew Garran)が編集して1886年に出版されたオーストラリアの風景画集「Picturesque Atlas of Australia」の作画者として雇われ、画家、イラストレーターとして働くようになった。

シドニーの有力な雑誌「The Bulletin」の挿絵画家になり、特に馬の描写に人気があった。月刊誌「The Antipodean」や「Australian Town and Country Journal」にも挿絵を描いた。詩人のBarcroft Boakeの詩集やヘンリー・ローソンの著作、Ethel Pedleyの子供向け書籍の挿絵を描いた[2]。油絵もある程度評価され、作品がニュー・サウス・ウェールズ州立美術館に買い上げられた[1]。1895年にシドニー美術協会の設立に貢献し、ニュー・サウス・ウェールズ美術協会で教師も務めた。1897年に結婚した。

1901年に家族とイギリスに移ったが、イギリスでは仕事の依頼は少なかった。1916年にロンドンで癌で死去した。

作品[編集]

参考文献[編集]

  1. ^ a b c B. G. Andrews (1986年). “Mahony, Francis (Frank) (1862 - 1916)”. Australian Dictionary of Biography, Volume 10. MUP. p. 381. 2009年10月2日閲覧。
  2. ^ Dot and the kangaroo - About This Book at www.childrenslibrary.org

関連図書[編集]

  • William Moore, The Story of Australian Art (2 vols.), Angus & Robertson (1980) ISBN 978-0-207-14284-0
  • Patrick Scott Cleary, Australia's Debt to Irish Nation Builders, Angus & Robertson (1933)
  • George Augustine Taylor, Those Were the Days; being Reminiscences of Australian Artists and Writers, (1918)
  • Frank P. Mahony (1862-1916) Colonial Artist, exhibition catalogue, Josef Lebovic Gallery (1983)