バール・ナラシンハ・クンワル

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
バール・ナラシンハ・クンワル

バール・ナラシンハ・クンワル(Bal Narsingh Kunwar, 1783年2月2日 - 1841年12月24日)は、ネパール王国の軍人、政治家。のちにネパールの首相となったジャンガ・バハドゥル・ラナらの父にあたる。

生涯[編集]

1783年2月2日ラナジット・クンワルの息子として生まれた[1]

1806年4月25日、法王ラナ・バハドゥル・シャハが弟シェール・バハドゥル・シャハに殺害されると、バール・ナラシンハは即座にシェール・バハドゥルを斬殺した[2]。これにより、彼は執政(カージー)の位を得た[2]

1841年12月24日、バール・ナラシンハは死亡した[1]

息子の一覧[編集]

合計で9人の息子がいた。また、彼らは1848年5月5日ラナ姓を王家から賜り、クンワルから改姓している[1]

脚注[編集]

  1. ^ a b c Lambjang and Kaski 2
  2. ^ a b 佐伯『世界歴史叢書 ネパール全史』、p.511

参考文献[編集]

  • 佐伯和彦『世界歴史叢書 ネパール全史』明石書店、2003年。 

関連項目[編集]