ノート:馬偕

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馬偕博士

台湾社会にあらゆる形で影響を与え、現在も影響を残している外国人。 清朝時代から日本植民地下の台湾で活躍。

George Leslie Mackay スコットランド系カナダ人。 1844-1901 1872年3月9日、台湾に到着し、以後、淡水を中心として台湾でのキリスト教の宣教を始める。 1872年から1880年の間、淡水、五股、苗栗、台北、基隆 、新竹などに二十以上の教会を設立する。 その後は宜蘭、花蓮などの台湾原住民の居住地に赴き、布教を行う。 1878年に台湾女性の張聰明と結婚。 キリスト教の布教以外にも医療活動や教育活動にも熱心で、1882年には現在の馬偕醫院の前身である滬尾偕醫館を設立。 また、同年に北部台湾で初めての西洋式教育を行う学校、牛津學堂を創設。二年後の1884年には女性教育のための女學堂を創設し、台湾の女子教育のさきがけとなった。 1896年には乃木希典総督の訪問を受ける。 1901年6月2日、ガンのため淡水の自宅で死去。

淡水長老派教会 台湾歴史会:馬偕博士 [1]