ノート:鎮台

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「鎮台条例」の制定[編集]

明治5年(1872)2月28日、兵部省が廃止されて陸軍省 海軍省が置かれ、3月12日に「鎮台条例」が制定されました。(旧暦)その後も「鎮台条例」は幾たびか改正されています。政府組織に関する記述ですから当然「鎮台条例」の制定・改正は補充されるべきでしょうし、これとの関係で既存記述の見直しも必要かと思われます。

  1. 鎮台
  2. 徴兵令 ( ちょうへいれい)-国民皆兵と壮丁教育
  3. 日本陸軍軍戦備-1
    --218.110.164.9 2007年12月12日 (水) 17:55 (UTC)ゴンベイ[返信]


新旧暦の整理[編集]

明治5年12月2日までが旧暦、明治6年(1873年)1月1日から新暦と、改暦がちょうど軍制改革の重要時期に重なっており、参考資料の日付は新旧暦どちらによるものか吟味され、こちらへの記述に当たっては旧暦日付のものは新暦を併記するべきだと考えます。--218.110.164.9 2007年12月12日 (水) 17:55 (UTC)ゴンベイ[返信]

「官軍」の名称について[編集]

第二官軍=鎮台
ということは明記したいほうがよろしいと思います。

何が独自研究なのでしょう[編集]

「鎮台という語」を 「明治初期の鎮台」と改めて書き直したところ、「独自研究です」というコメントとともに差し戻されました。何が独自研究なのでしょうか。明治初期にいくつも鎮台があったことは、そもそも加筆前の文の言っていることです。[1][2]も見てください。裁判所 (地方制度)については私が書いた記事があります。旭日旗の制定の一文を削ったことについては、これが鎮台の重要事件とするほうが独自研究でしょう。「師管区」を「師管」に改めたことについては、ノート:師管区を参照してください。--Kinori会話2017年9月27日 (水) 07:43 (UTC)[返信]

明治初年の鎮台や裁判所が、4年まで続いた可能性を疑っているのですね。それはおそらくこの記事を読んで思いついたことですよね。何か本を読んでいれば出てこない説です。私は、まったく予備知識を持たない人がそのように誤解してはいけないと思って書き換えたのです。
慶応4年=明治元年は、官職や制度が作られては壊された制度的混乱の時期です。行政鎮台(とここでは造語して呼ばせてもらいます)もその一つなのですが、地方制度では、この年のうちに制定された府藩県三治制で全国一律の外形が整いました。とはいえまだ戊辰戦争のさなかですので、中央で変えたが現地ではまだ、という可能性もあり、行政鎮台の終わりはこの時点、とは私には断言しにくいです。しかし明治4年はもう廃藩置県の年ですから、この時点まで最初期の雑多なものが残っていた可能性はありません。明治維新について書かれた本や、地方制度の歴史について欠かれた本には、府藩県三治制は普通出てきます。基本知識です。その知識があれば大和屋敷さんが思ったような説は出てきません。
出典については、もともとのこの箇所についていた大久保利鎌の本が、府藩県三治制の前の制度、として鎮台を説明していますので、それを引いておきましょう。
行政鎮台は歴史的な重要性がない、とてもマニアックな知識ですので、知らなくても仕方がありませんが、府藩県三治制について知らないなら、本当に知識がないのでしょう。そのレベルを拠り所にして、他人の加筆を「独自研究」と言うのはおかしくありませんか。大和屋敷さんにも言い分はあるのでしょうが、知らない分野に手を出すなら、ノートに書いて疑問を呈するなどの手順を踏むのが穏やかな良いやり方だと思います。--Kinori会話2017年9月29日 (金) 01:32 (UTC)[返信]
と思ったら、私が書き換える前の文章を投稿したのは大和屋敷さんなのですね。大久保氏の本を読んだのなら、こんな疑問が出るはずはない、と思いました。もう一つの出典と酷似しているのを見つけましたので、Wikipedia:削除依頼/鎮台を提出しました。--Kinori会話2017年9月29日 (金) 02:13 (UTC)[返信]
  • えっと、一体何をされてるのでしょうか。なぜ削除依頼?--大和屋敷会話) 2017年9月29日 (金) 05:11 (UTC)他の記述も無断で削除されているようですが、これは問題のある編集行為ではありませんか。--大和屋敷会話) 2017年9月29日 (金) 05:15 (UTC)あー貴殿は管理権限持ちなのですね。めんどうなので削除でいいです。--大和屋敷会話2017年9月29日 (金) 05:16 (UTC)[返信]