ノート:西蔵地方/西蔵と西蔵地方を別記事とすることの「プロパガンダ」性について

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このページをめぐる議論をざっと拝読しました。「西蔵」と「西蔵地方」が異なる概念に依拠した記事であるというご意見は理解できます。ただここで、この百科事典のユーザーの立場に立って考えてみる必要があるかと思います。2つの記事は、執筆者の専門的な意見としては、異なる概念に基づく性格の違う記事であるといっても、やはり共通項もあり、よく似た名前の記事である事も事実で、それが独立併置されている事は、読者を戸惑わせるような気がします。両記事を1つのページ内で統一しても、章や節で区分して異なる概念の記述を併記する事は可能でしょう。「西蔵」ないし「西蔵地方」の事を調べようとする読者・ユーザーは、目次で必要な部分を選択することができ、その分、便利なデータベースになるのではないかと思いますが。--Kogane 2006年5月5日 (金) 10:44 (UTC)[返信]

賛成です。わたくしとしましては西蔵の記事に十分な量があるから同じ記事にするというの絶対反対というのはなにか別の思惑があるように見えます。地方を付けるか付けないかで区別をするというのも何処のなんて言う書籍・資料はたまた学派が行っていることなのでしょう?それについて説明をいただければ存続しても構いませんが、そうでなければウィキペディアを利用したプロパガンダを図った「特定アジア」と同様のケースでしょう。特亞對策委員 2006年5月5日 (金) 12:22 (UTC)[返信]

西蔵という用語と西蔵地方という用語は、まったく同義でつかわれることもある一方で、まったく別個の概念としても用いられる用語であるので、別々に記事をたてました。宝珠蓮華氏宛のレスで、【別個の概念ではない】と主張する人のための宿題をだしておりますので、ごらんください。この二つの用語が「特定アジア」なる用語と全く相違する点は、西蔵という用語は康煕末年以来中国人が連綿と使い続けてきた伝統ある地域概念であること、西蔵地方という用語も、遅くとも中華民国の歴代政権および中華人民共和国が、【チベットの一部にたいして付与した、中国を構成する一部分としての呼称】として、一世紀近くにわたって使用してきた伝統ある概念である、という点です。
現状の文面は、百科事典の記事として執筆したものであるので、
  1. チベット人および中国人による伝統的なチベットの枠組み
  2. 出現当初の西蔵という地域概念の枠組み(同、中国現政権による、現行の枠組み)
  3. チベット(=西蔵地方)の枠組みについての中国政府の主張
  4. チベットの枠組みについての中国共産党の主張の変遷(「民主自治邦チベット人人民共和国」から「西蔵地方」へ)
  5. チベットの枠組みについてのチベット亡命政府の主張
だけを、当事者自身の実際の用例に基づき、客観的に正確に紹介することに徹しております。
これらのそれぞれは、すべて当事者自身の自己認識を忠実に紹介したものであり、私自身の「独自の研究」や「主張」などを加えた部分はありません。よって「プロパガンダ」なるレッテルはつつしんでご返上申し上げます。--Dalaibaatur 2006年5月5日 (金) 21:48 (UTC)[返信]
ならそれはどこの団体のなんという著書にその証拠があるのですか?たとえ事実だとしてもウィキペディアにあなたの研究結果を発表することは方針に反します。138.243.201.1 2006年5月5日 (金) 23:14 (UTC)[返信]
  1. たとえば、西蔵地方の本文で引用した国家民族事務委員会のコメントは、北京週報社が1988年に出版した『Tibet: Myth Vs Reality』のp.140に記載されています。この本には『西蔵:神話与現実』、『チベット:「神話」と現実』というタイトルの中国語版、日本語版もあり、中国語版では「西蔵地方」、日本語版では「チベット地方」という呼称が、チベットの一部(ガリツァンウーカム地方の西部を合わせた範囲)に対する【中国を構成する一部分としての呼称】として使用されています。
  2. 記事の文面はすべて事実のみを記しているだけで、私の「独自の研究」や「独自の主張」などを行った部分はありません。---Dalaibaatur 2006年5月5日 (金) 23:45 (UTC)[返信]