ノート:西村朗

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話題[編集]

非常にネガティヴな記事になっているため、これも近日中に改訂予定です。--Noda,Kentaro 2005年5月6日 (金) 23:54 (UTC) 全面的に書き換えました。あとは作品ごとの詳細な解説を各期ごとに記せばよいだけです。--Noda,Kentaro 2005年9月29日 (木) 02:40 (UTC)[返信]

初期のピアノ協奏曲「紅蓮」や「ケチャ」の代表作の記述が抜けています。----以上の署名のないコメントは、195.93.60.116会話/Whois)さんが 2005年9月30日(金)15:03 に投稿したものです。

書き加えました。--Noda,Kentaro 2005年10月1日 (土) 22:18 (UTC)[返信]

誤編集[編集]

『1987年ころの』、とありますが、普通の日本語では1987年頃(ごろ)であり、ころ、ではありません。

また、『1995年「メロスの光背」ごろ』とありますが、年号と名詞を助詞抜きで続けることは通常の日本語では出来ません。

このように、日本語の不自由な人が編集をすると、たちまちぼろが出てどうしようもならなくなるため、やむを得ず前の版に差し戻します。ご意見等ございましたら私のノートまでお寄せください。--Alles 2007年7月23日 (月) 13:15 (UTC)[返信]

「××するころに」という言葉もありますから、間違いだとしてもありふれたものであると思います(間違いかどうかも迷うところ)。まあ「1995年「メロスの光背」ごろ」は崩しすぎだとは思いますが。これだけを捉えて「日本語の不自由な人」とまでおっしゃるのはいただけませんね。また、構成の変更全てを差し戻したことの理由にはなっていないと思いますが。 -- NiKe 2007年7月23日 (月) 23:01 (UTC)[返信]

いいえ。崩しすぎ、ではありません。時間がなくて大慌てでタイプしたとしても、「通常は」考えられません。ですが、誤編集をなさった方のミス追求はしません。それでよいでしょう?--Alles 2007年7月24日 (火) 07:35 (UTC)[返信]

むしろ、日本語話者だからこういう書き方をしてしまったものと思いますが。「ミス追求」もその類ですよね。いずれにせよ、悪意があるようにとれる表現は控えてくださることを望みます。 -- NiKe 2007年7月24日 (火) 09:13 (UTC)[返信]

「日本語話者だからこういう書き方をしてしまった」と、何人の利用者が判断するか、お教えください。私は「自動翻訳ツール」を使ったミスだと思うのですが。--Alles 2007年7月24日 (火) 10:29 (UTC)[返信]

「本人の弁では「全ては適応不全」から始まった「独自のアジア的試み」と解されることが一般的には多い。」なんて文章書く人に言われたくはありませんし、相手にするだけ人生の無駄ですが、とりあえず、人の語学力をとやかくするのはウィキペディアのルールに反していますので、御注意ください。
それよりも、活動を5期に分けることについて、出典をお示しくださいませ。野田大先生。編集合戦は望みませんが、版は差し戻しておきますね。--Aotake 2007年7月24日 (火) 12:59 (UTC)[返信]

自動翻訳ツールを使ったことを認めたらいかがですか?--Alles 2007年7月24日 (火) 15:53 (UTC)[返信]

あなたの思い込みでしょう。もっとも、仮に翻訳されたものであったとしても、そんなことは大した問題ではないのです。文章がおかしいのなら具体的に指摘するか直せば良いことです。また、あなたが受けている質問に対して返答しておく方が建設的であると思います。 -- NiKe 2007年7月24日 (火) 15:58 (UTC)[返信]

ピツェッティのように一枚岩のような作曲家でもない限り、人の作風は変わります。しかし、利用者:Aotakeが西村音楽について非常に堪能であり持論があるのであれば、話は別です。--Alles 2007年7月24日 (火) 16:10 (UTC)[返信]

我々に求められているのは「持論」ではありません。大ざっぱに言えば、広く受け容れられている(無難な)情報を並べる方が良いのです。この場合では、こうやって5期に分けるのは個人的な見解ではないかという疑問が呈されているのです。 -- NiKe 2007年7月25日 (水) 01:07 (UTC)[返信]

恐らく独自研究云々が焦点になったのは強引な様式区分であったと感じますが、見出しをつければ結局その横に数字は出ますので「第一期 - 第五期」を省いても結局何も変わらないのではないかと思います。が、その点が「独自性」と即断されても、なるほどこれはおかしくありません。--Alles 2007年7月25日 (水) 05:21 (UTC)[返信]

誤編集2[編集]

先ほど独自研究のテンプレを貼った方がいらっしゃったのですが、[1]とあるように、出典が見つかるものにまでRVをかけていたようです。独断で出典がないと早合点する人に、テンプレは貼れません。--Alles 2007年7月24日 (火) 16:56 (UTC)[返信]

それは本記事が「独自研究であるかどうか」とは直接関係しません。 -- NiKe 2007年7月25日 (水) 01:07 (UTC)[返信]

繰り返しますが[編集]

思い込みと言うのは勝手です。しかしながらAotakeの文章に整合性がないのも事実です。

差し戻しは「どうしても」出来ません。なぜなら、日本語表現が余りにもおかしいからです。版を重ねるごとにますますおかしくなります。これは立派な破壊行為です。それはまず原文を英語に直して、その後で日本語に重訳しているからです。『1995年「メロスの光背」ごろ』という表現はどうやって出てきたのでしょうか?利用者:Aotakeはいつもの手口で他の利用者の人格攻撃をするのは知っていますので、もうだまされることはありません。上記の文体も最初からその文だったのではなく、いろいろな人の手が入ってそうなったまでです。おかしければ直せばよいのではないでしょうか?しかし、あなたは日本語を母語としないために、直せません。--Alles 2007年7月24日 (火) 16:02 (UTC)[返信]

いい加減にして下さい。あなただって、たった今「しかし、あなたは日本語を母語としないために、直せません」などという奇妙な文章を書いてしまっているではありませんか。思い込みでないというのなら、具体的な指摘をして下さい。「ますますおかしくな」っているというのですから、1箇所やそこらではないでしょう。
なお、“1995年「メロスの光背」ごろ”という程度なら、『1995年、「メロスの光背」の頃』が崩れてしまったと解釈できます。
ところで、Aotakeさんからの質問には答えないのですか。 -- NiKe 2007年7月24日 (火) 16:10 (UTC)[返信]

「しかし、あなたは日本語を母語としないために、直せません」←どこがおかしいのでしょう?--Alles 2007年7月24日 (火) 16:11 (UTC)[返信]

この文章が『お前は日本語が母語じゃないんだろ。だからこの文章がおかしいと言いながら自分では直せないんだな!』という意味で書かれたのなら、いろいろ省略されているにしても『しかしあなたは日本語を母語としないので直せません』といった文章になるはずですよ。もっとまともな日本語にするのなら『もっとも、あなたは日本語を母語としていない人ですから、この文章が直せないんですね』といったあたりかな。 -- NiKe 2007年7月24日 (火) 16:20 (UTC)[返信]

上の文章は編集競合で利用者:Aotakeへ向けた文章になっていなかっただけです。--Alles 2007年7月24日 (火) 16:13 (UTC)[返信]

もう少し御自分の文章を見直されてはいかがでしょうか。 -- NiKe 2007年7月24日 (火) 16:20 (UTC)[返信]


誤編集3[編集]

かなり迷いましたが、NiKe氏が音楽芸術のバックナンバー等に「全く」目を通されていないことがわかったので、独自研究タグは剥がさせてもらいます。五つの年代別に作風は分けられていますが、旧来第五期で概説された「細い筆」云々は音楽の友の2004年のインタビューに詳細に述べられております。ピアノ協奏曲「シャーマン」の時期だったので、インタビュー数は従来よりも多かったです。第二期のチューブラーベル云々も「作曲家本人の口から」数度にわたって文章で投稿されていました。第四期の「瞑想的な」作風の進化も秋山邦晴から本人に向かって直に言われていたことです。これらの記述が「オリジナルだ」という証拠は見られず、独自研究と断じるだけの根拠も見当たりません。人に向かって独自研究と決定付ける前に、まずカメラータやフォンテックなどのライナーノートからNiKe氏は目を通されるべきではないでしょうか?CDレンタル屋で簡単に出来ることでしょうから。--Alles 2007年7月25日 (水) 05:19 (UTC)[返信]

ただし、NiKe氏がすでに多くの西村音楽に接しており、評論にも目を通し、WP上の文章も創作だと断じる根拠が見つかれば話は別です。--Alles 2007年7月25日 (水) 05:48 (UTC)[返信]

単純ミス[編集]

利用者:Charlesy氏は『後衛的で批判を免れない』云々の箇所を無断でコメントアウトしましたが、これらの経緯は「光の雅歌」に載っています。58ページと229ページでした。しかし、利用者:Charlesy氏は自分のミスを認めるどころか、逆に投稿ブロック依頼をかけています。この点について、他の利用者からご意見を伺いたいと思いますがどうでしょうか?またメディテーションはCDも市販されており、ライナーにも作品成立の経緯が詳細に書かれています。--Alles 2007年7月25日 (水) 08:07 (UTC)[返信]

出来れば来月くらいには、文章と出典の対応表みたいな物は、作れると思います。今すぐにはちょっと無理。--Alles 2007年7月25日 (水) 08:12 (UTC)[返信]

泪羅の淵より[編集]

Sorry I cannot speak Japanese. But could someone help check if the word is "汨羅" or not? Thanks. --Lewix会話2018年6月10日 (日) 17:40 (UTC)[返信]