ノート:蓮池藩

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

関連資料(地図発見、国立国会図書館ほか)[編集]

蓮池藩関連の資料があります。記事の出展の調査、内容の拡充にお役に立てば幸いです。

新聞の報道
佐賀大学の宮武正登教授(54)=日本中世史・城郭史=は「『謎の城下町』の実像に迫る貴重な手掛かり」とみている。
和紙を4枚貼り合わせ、大きさは縦79センチ、横56.5センチ。のりが剥がれて分かれていたが、修復(略)。

 • 地図には、直澄の兄弟で、後に小城藩の初代藩主になる元茂が生まれた「小曲館(こまがりやかた)」も記載され、「小曲ト云(という)」と書かれている。小曲の地名がこの時代の地図で確認されたのは初めてという。(略)
 • 武家屋敷には家臣らの名が書き添えてある(略)

 • 宮武教授は「現存する水路や寺社も描かれている。地図を片手に町歩きをするなど、町おこしにも活用できるのでは」と話す。
書籍(国立国会図書館データベース)
  • 田中耕作『蓮池藩 : その領土が多数の地域で構成されたのは?』佐賀新聞、2018年。国立国会図書館書誌ID:029035944全国書誌番号:23084048ISBN 978-4-88298-2302
    • 目次
      • 初代藩主 鍋島直澄
      • 四代藩主 鍋島直恒
      • 八代藩主 鍋島直與
      • 資料1 雲菴道人帰田詩碑
資料(CiNiiデータベース)
  • 葛辰 書『秀天靈社碑銘』風月堂荘左衛門、宝暦2年(1752年)。
  • 岡白駒 [蓮池藩]『助辭譯通』3巻、出雲寺和泉掾 : 吉文字屋次郎兵衛(発行)、寶暦12年『1762年)序。上巻、中巻、下巻。
  • 『日本文徳天皇實録』10巻、藤原基經ほか 奉勅撰 ; 元章 [挍訂]、[出雲寺和泉掾] 寛政8年(1796年)。
  • 『蓮池藩日誌』ふるさと社、1981年。
  • 『鍋島家資料目録』佐賀県立博物館 編、佐賀県立博物館、1984年。
  • 『蓮池鍋島家文庫目録 ; 倉永家資料目録 : 佐賀県立図書館所蔵』佐賀県立図書館 編、佐賀県立図書館 1985年。
  • 『蓮池藩 (はすのいけはん) 日記の抜書 : 藩政と塩田関連のよもやま雑記帳』〈その1–その5〉峰松正輝、[峰松正輝]、2016.9-2017.6。
  • 『御公儀御系圖其外』中野正裕 翻刻・校註 ; 低平地研究会歴史・文化専門部会 佐賀大学地域学歴史文化研究センター 共編、低平地研究会 : 佐賀大学地域学歴史文化研究センター、2017年。
    • 『低平地研究会・歴史部会研究報告書』2016年。
  • 田中耕作『蓮池藩 : その領土が多数の地域で構成されたのは?』佐賀新聞社、2018年。
  • 『蓮池藩先賢詩文集』中尾友香梨、高橋研一、中尾健一郎 編、佐賀大学地域学歴史文化研究センター、2021年。
  • 『佐賀県近世史料』〈第2編第3巻〉佐賀県立図書館 編、佐賀県立図書館、2023年。
論文(JStage)
ウェブサイト
  • 日記史料有感地震データベース
    • 『蓮池藩日記』—収録した日記史料について(解題)
    • 西山昭仁・水野嶺・吉岡誠也・片桐昭彦、東京大学、地震火山史料連携研究機構(地震研究所・史料編纂所)。
    • 既刊史料集部分採録史料。肥前佐賀藩の支藩蓮池藩の公務日記。安政3年に史料の状態により中身を確認できない記事あり。
    • 【参考文献】佐賀県立図書館収蔵、嘉永7~安政6 (1854~59)、採録期間は嘉永6~安政4年。
コトバンク

蓮池藩とは?

地図

城下町の地図が見つかり、小城市立歴史資料館「新収蔵品展」にて展示(2017年6月10日から同月25日まで」。この資料は旧小城藩家老の西家旧蔵、小城市文化課が市内の古美術商から購入した資料のひとつ(2016年6月、総数15点)。--Omotecho会話2023年11月4日 (土) 07:07 (UTC)[返信]

  • コメント 蓮池町蓮池町#蓮池藩の成立)を執筆したものです。
  • 要出典なのでそもそもアレなんですけど、「立藩の時期は諸説ありはっきりしない」というのは、「詳細は不明である」というよりは、「どの時点を以て『藩の成立』とみなすか、意見が分かれる」的な感じなんじゃないかなー、と思いました。(「鎌倉幕府の成立」を何年とするか的な。)
  • まあ、私が採用したのは平凡・角川の地名辞典類が中心ですから、上に挙げられたような、より新しく・本格的な詳しい文書で「謎」について詳説されているのであれば、それはそれでよいのでしょう。--柒月例祭会話2023年11月4日 (土) 08:34 (UTC)[返信]
    コメントありがとうございます。おっしゃるとおり、まるで資料がないから不明とは読み取りませんでした。
    あるいは、地図が廃藩置県の時に捨てられずに現代に遺ったり、大切に保管されたのか忘却されたのか、「断捨離」時代を反映して世に出たのか。背景を想像するとキリがありません。
    諸説あるなら、「偏りなく」並べるのはなかなか骨が折れると思われます。資料が日の目を見る機会がありましたら、ご活用願います。--Omotecho会話2023年11月4日 (土) 14:36 (UTC)[返信]