ノート:英虞湾

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初版の著作権について[編集]

文書中、一部、リンク先の観光協会などの記述と酷似している物がありますが、ウィキペディアへの掲載を現地観光協会及び著作者(Miketsukunibitを含む)の許可を得て掲載しています。尚、写真、文章等は許可の課程で提供を受けた物で、同原稿から作成される記事が、今後、現地観光協会、並びに著作者が作成するパンフレット、ホームページなどにも掲載されます。  --Miketsukunibito 2004年9月12日 (日) 01:10 (UTC)[返信]

その後のMiketsukunibito氏の申告によると、上記の著作権に関する記述は虚偽であり、実際にはオリジナルの文章とのことです。詳細は、ノート:英虞湾/削除を参照してください。--Gaø 2005年9月10日 (土) 03:57 (UTC)[返信]

引用されている万葉集の歌について[編集]

  • 阿胡の浦に船乗りすらむ乙女らが珠裳の裾に潮満らむか
「阿胡の浦」(嗚呼見の浦)は、鳥羽市小浜海岸あるいは志摩市阿児町国府が有力な比定地とされており、英虞湾ではないと思います。
  • 我が欲りし 野島は見せつ 底深き 阿胡根の浦の 玉ぞ拾はぬ 
「阿胡根の浦」は不詳であるとするのが一般的な解釈ではないかと思います。

以上の理由により本文から削除致しました。コメント等頂けましたら幸いです。--Excavator 2005年11月14日 (月) 13:12 (UTC)[返信]

真珠養殖について[編集]

本文中の「真珠養殖も盛んで奈良時代から阿古屋貝から採れる真珠を出荷していた。」について、奈良時代から真珠の養殖をしていたような印象を受けたのですが、どなたかお詳しい方ご確認いただけますか? --Wileecoyote81 2012年1月30日 (月) 15:38 (UTC)