ノート:穴山氏

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

>1450年、信重は穴山伊豆守に襲われて戦死する。穴山伊豆守は満春の子とされるが、当時勘気を受けて追放されていたため、信介が養子として穴山家を継ぐに至ったが、これを恨んだ伊豆守が信重を殺害したのだという。穴山氏の歴代当主は武田氏から養子を迎えており、家督相続に対する武田家干渉への不満が鬱積していた状況を物語る。

IPさんによって加えられた以上の情報ですが、わたしの参照した文献では確認できませんでした。若干推測的ニュアンスが感じられるように思えますし、出典をお伺いできますでしょうか?--でここ 2007年10月16日 (火) 13:52 (UTC)[返信]