ノート:皇太子裕仁親王の欧州訪問

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質問を2点。[編集]

いくつかリンクの追加・修正を行いました。そのうち「グラン・トリノ宮殿トリアノン・パレス・ホテル」は大トリアノン宮殿のことだと判断し、リンクを変更しましたが、誤解してるかもしれません。もしそうでしたら戻してください。

リンクできそうでできなかったのが二点あります。ひとつめがケンブリッジ大学で皇太子に講義を行った「ジョセフ・タナー教授」。歴史学者の en:Joseph Robson Tanner (1860年 - 1931年)ではないかと推測しましたが確信が持てなかったのでそのままにしています。ふたつめが「オランダ・ベルギー国境のエスケム駅」。現在アムステルダムからルーヴェンへ鉄道で行く場合、国境の駅は en:Essen (B) railway station のようです。英語版によれば、この駅が開業したのは1854年でかつては主要な国境の駅だった、とありますので皇太子もここを通ったのではないかと思いますが「エスケム」という地名ではないようです。―霧木諒二会話2017年5月21日 (日) 04:54 (UTC)[返信]

Joseph Robson Tanner で合っていたみたいですね。加筆ありがとうございました。--霧木諒二会話2024年3月27日 (水) 11:05 (UTC)[返信]

アムステルダム駅について[編集]

オランダの場面にて、

6月15日午後5時15分に裕仁親王の一行は王配ヘンドリックが出迎えるアムステルダム駅に到着した。 」とありますが、

その「アムステルダム駅」が「アムステルダム中央駅」ではなく、アムトラックの「アムステルダム駅」に飛んでしまいます。


念のため確認ですが、この「アムステルダム駅」は「アムステルダム中央駅」のことでよろしいでしょうか?--あのもー会話2024年3月6日 (水) 12:57 (UTC)[返信]