ノート:生類憐れみの令/削除

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削除依頼 2004年7月[編集]

* 生類憐れみの令 - ノート[編集]

初版と外部サイトに酷似があるように思いました(ノート参照)。初版の内容は以後のすべての編集に継承されており、念のため削除が妥当と考えます。--Aphaia 2004年7月24日 (土) 15:49 (UTC)[返信]

Aphaiaさん紹介のサイトは『黄門様と犬公方』(山室恭子著/文春新書)1冊だけを読んで書かれたようです。山室さんのこの本は「生類憐れみの令」の参考文献にもあげていますが、私の考察が山室さんの考察と重なる部分があることは、山室さんも承知のことです。ちなみに、『黄門様と犬公方』は、著者サイン入りで、私の連載『忠臣蔵で江戸を探る脳を探る』の読者プレゼントにもしていただきました。『忠臣蔵で江戸を探る脳を探る』を書くにあたって私が使用した史料など、ノートにも書いておきました。百楽天 2004年7月25日 (日) 03:35 (UTC)[返信]

(反対)「生類憐れみの令」に、「削除依頼」に出したというテンプレがないのに、何故ここに削除依頼として記されているのでしょうか?

「生類憐れみの令」(以下A)と外部サイト[1] (以下B)との類似箇所は、成立とエピソードの所。

A:そういった町触れと初見とされているのは、綱吉の生母桂昌院が帰依する僧・隆光が長谷から江戸に着任する一年前、貞享二年(1685年)七月十四日に出された町触れである。
「上様御成りの道筋においても、犬猫をつないでおくことはない」
B:現在、生類憐れみの令の初見とされているのは、その一年前、貞享二<1685>年7月14日付けで出された、「将軍御成りの道筋においても犬や猫をつないでおく必要はない」というお触れだだとされています。

A:徳川五代将軍徳川綱吉は長男・徳松を亡くして以来、跡継ぎに恵まれなかった。そこで隆光に訊ねたところ、次のような進言があった。
「人の嗣乏しきは、皆其の前生多殺生の報なり…殿下、誠に嗣を欲せば、蓋し殺生を禁じ、且つ殿下丙戌生まれをもって、戌は狗に属せば、最も宜しく狗を愛すべし」
B:綱吉は長男を亡くして以来、跡継ぎに恵まれなかった。そこで僧侶の隆光が進言した。
「跡継ぎに恵まれないのは、前世に殺生を多く行った報いでございます。ですから、跡継ぎを授かるには、生物をいつくしんで殺さないに限ります。ほんとうに跡継ぎが欲しいとおぼしめすなら、殺生を禁止なさいませ。それに将軍様は戌年のお生まれでいらっしゃいますから、犬をいつくしむのが最善でございましょう。」(山室恭子『黄門さまと犬公方』文春新書、1998、より引用)

A:しかし『三王外記』には「柳沢保明(のちの吉保)の子・吉里は実は綱吉のご落胤」などのゴシップ記事が満載されており、必ずしも史実が書かれた書とは言えない。また、隆光の生没年は、慶安二年(1649年)~享保九年(1724年)で「護持院日記」(隆光僧正日記)を残しているが、これには「生類憐れみの令」の記事は出てこない。また、隆光にはアリバイがあり、綱吉に拝謁のため江戸に下向したのは、貞享三年(1686年)。
B:この話が載っているのは「三王外記」という江戸時代に成立した書物ですが、この書物は、柳沢吉保の子供・吉里は、実は綱吉のご落胤だとかいうゴシップ記事が満載の、まさに先ほど例え話で挙げた週刊誌のようなものなのです。
また、先の逸話に出てきた僧侶は、護持院隆光(慶安二<1649>~享保九<1724>年) という僧ですが、この隆光は『隆光僧正日記』という大部な日記を残しています。

AとBとは非常に似通っているのは、ともに『黄門さまと犬公方』(山室恭子/1998年/文春新書)を参考にしたからでしょう。AとBの類似箇所と『黄門様と犬公方』との比較検討してみなければ、著作権侵害のおそれがあるとは言えないと思うのですが。どうでしょうか?

  • 反対意見を書いて、署名するのを忘れました。Yomibitoshirezu 2004年8月9日 (月) 07:22 (UTC)[返信]
  • (コメント)削除依頼テンプレートの貼り忘れは削除されない理由になりません。Tietew [Talk] 2004年8月9日 (月) 18:05 (UTC)[返信]
    • (賛成)数文の短い記述ですが、他に記述する方法がないとは思われない部分での選択する単語の一致が散見します。また、その部分では文章構成も同一であることから全く別に構成された文章とは考えにくく、削除が妥当と考えいます。--Suisui
    • 賛成)語尾など細部の異同はあるもののほぼ同じ語を同じ順で使用しており、改変に当たると考えます。Tietew [Talk] 2004年9月4日 (土) 15:14 (UTC)[返信]
  • (対処)外部サイトとの類似を確認し、削除しました。書籍からの転載による類似かもしれませんが、偶然の一致とは考えにくいため何らかの著作権侵害が行われている可能性が高く、放置すべき状況ではないと判断したためです。本件に関して転載経路を明確にする作業は、労多くして得るもののない無駄な作業ではないでしょうか。なお、ノートには初版投稿者による反論らしきものがありましたが、論旨が不明(あるいは単に削除依頼とは無関係)なので判断材料にはしませんでした。― Ghaz 2004年9月6日 (月) 16:13 (UTC)[返信]

ノート:生類憐れみの令[編集]

初版の後半とこちらの外部サイトに内容・構成・語句の選択上の著しい類似があるように思いました。--KIZU 2004年7月24日 (土) 15:36 (UTC)[返信]

KIZUさん紹介の外部サイトに書かれたことを読みました。「生類憐れみの令」については、『黄門様と犬公方』(山室恭子/1998年/文春新書)1冊を読んだだけで書かれたようですね。この本は文春新書の第一回配本の1冊で、私が『忠臣蔵で江戸を探る脳を探る』(シリーズ/百楽天/1998~1999年/TOWN-NET誌)の連載中にでたもので、私がこれを主題として書いたのは、1999年の2月号です。山室さんの著書以前に生類憐れみの令について追求して書かれたものといえば『生類をめぐる政治』(塚本学/1983年/平凡社ライブラリー)くらいで、その本に書かれたことで、生類憐れみの令についての新しい解釈が始まったと思われます。
しかし私は同書に書かれたことで満足せず、「厳有院殿御實紀」、「常憲院殿御實紀」、「文昭院殿御實紀」、「護持院日記」、「山王外記」、その他の史料をあたっていました。中野や四谷の犬小屋などについて、山室さんの著書と私の考えが重なるところがあり、文春新書編集者から山室さんに連絡をとってもらって、自説およびその根拠などについてやりとりする機会を得ました。
私の連載の「読者プレゼント」のなかに、著者・山室恭子さんのサイン入りで『黄門様と犬公方』10冊を加えてもらったり、雑誌に私の推薦図書として、『黄門様と犬公方』を紹介したこともあります。

したがって、生類憐れみの令 には、山室さんの『黄門様と犬公方』と考え方の重なるところもありますが、山室さんの著書にはみられない私の調査によるものもあります。
本文中に、

  • 「護持院日記」(隆光僧正日記)

と書いたところがあります。私が参考としたものは「護持院日記抄」(護国寺編)であり、山室さんが使ったのは、「史料纂集」(続群書類従完成会)のなかの「隆光僧正日記」です。
「山王外記」については、私は明治時代に刊行されたもののマイクロフィッシュを参考にしましたが、山室さんが使ったものは東京大学史料編纂所の写本だと思います。

山室さん、現在は「東京工業大学大学院教授(価値システム)」ですが、東京大学史料編纂所で助手をやっていたことがあり、『黄門様と犬公方』執筆調査のために古巣に通ったそうです。
百楽天 2004年7月25日 (日) 03:19 (UTC)[返信]

KIZUさんから「内容・構成・語句の選択上の著しい類似があるように思いました」とされた こちらの外部サイト、よく読んだらひどいねえ。山室恭子さんの著書では「AではなくてB」と書いてあるものを「A」の部分だけ引用として、「B」は自説にしてる。盗作よりもひどい。ちょいと問題提起しましょうか。百楽天 2004年8月8日 (日) 14:58 (UTC)[返信]

ここで議論すべきはこの記事のGFDLとの整合性であって、Wikipediaでは外部サイトの内容について議論すべきではありません。どうか冷静にこの記事が引き写しではないかという疑念のみについて議論なさってください。--Gleam 2004年8月8日 (日) 15:42 (UTC)[返信]

こういうのは、相手方に申し立てしたいと思います。おそらく転載許可もとっていないと思うので百楽天 2004年8月12日 (木) 00:34 (UTC)[返信]

「こういうの」と「相手方」は何(誰)を指しているのでしょうか?繰り返しますが、どうか冷静にこの記事が引き写しではないか、無意識・間接的にでも外部の文章が含まれていないか、という疑念のみについて議論なさってください。--Gleam 2004年8月12日 (木) 03:08 (UTC)[返信]

Sampoさん、このページを削除依頼に出された理由をお聞かせください。私は、このページに似てるというサイトを問題にしているのです。それがもめることになるので、というのならば話はわかりますが、議論にも参加せず、私が著作権を侵害しているなどというのは承知しかねます。百楽天 2004年8月14日 (土) 09:04 (UTC)[返信]