ノート:猿楽

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統合提案[編集]

散楽との統合を提案します。鎌倉以前の猿楽と散楽の歴史はほぼ重なる上に、現在の両記事を見てもかなりの部分、内容が重複していると思います。--Peachkiller 2008年4月25日 (金) 13:48 (UTC)[返信]

(反対)散楽と猿楽の統合には反対いたします。芸能史においては、散楽はおもに国家が「散楽戸」をおいていた時代のものをさし、その後、寺院の法会で演じられた曲芸と物まねをさします。猿楽は、平安期移行に使われだした滑稽を主にする芸能で、のちに「猿楽の能」といって、現在の「能」に発展していったものをさします。ですので、百科事典では散楽と猿楽は別物としておいたほうがよいと思います。ただし、鎌倉以降の「猿楽」を「散楽」と書いている公家日記等もあるようですので、この時代あたりに混用があったことは事実です。そのことは、また余裕のある時間に、きちっと論文を調べて書こうと思っております。(余談かもしれませんが、研究者によっては、大和猿楽は、現代の狂言の源流で、観阿弥、世阿弥の大成した「申楽の能」は、そういう大和猿楽から離れて、クセ舞や田楽能をとりいれ、猿楽とは別物の「能」というものになっていったという人もいるようです。とまれ、「能」を江戸期に「猿楽」とも言ったことは事実ですが、当時の藩日記などを見ますと、この「猿楽」という言葉は、「能」をさす言葉として普遍的ではないようです。<島原藩、岡山池田藩などの文書には「御能」、「能」などの表記があります。>ただし、現時点で各藩の能関係の研究ははじまったばかりで、いまだ整理されていないので、江戸時代の「能」をどう呼ぶかということは、POVになるおそれがあると、私は思います。しかし、これはここでの話題ではないので、また別のところで。)Toki-ho 2008年4月27日 (日) 07:16 (UTC)[返信]
なるほど。もっともなご意見です。それでは、今後のToki-hoさんの「散楽」「猿楽」への御加筆を期待して、統合提案は一旦撤回することとします。--Peachkiller 2008年4月27日 (日) 10:39 (UTC)[返信]

名称の申楽について[編集]

『能・狂言事典』にははっきり誤りと書いてあり、さすがにこれは両論併記にはなりません。もし、上宮太子(聖徳太子)が名づけの親だという説があるのなら、出典を示してください。いかに何でも、真面目にそんなこと言う人がいるわけありません。--60.34.122.139 2016年6月12日 (日) 23:18 (UTC)[返信]