ノート:牧口常三郎

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履歴を辿っていて事典らしくない編集の傾向が見られますね。牧口への宗教的な敬愛の念と事典としての記述の充実、当時の価値観からの見方という中立性が必要と見ます。その宗教の「正史」で不利なことはとにかく隠ぺいするし、出版社の及び腰で広く一般に認められる事実でも「載せにくい」ものは発生するんですよ。特高警察といえど、入営して自分よりずっと頭悪い、ちょっと飯の数が多いだけの古兵に命綱握られたくないです。組織維持の「消化試合」業務だったというのは事実です。信心と記述の正確性のけじめはつけないといけません--124.44.212.118 2008年2月25日 (月) 09:39 (UTC)[返信]

124.44.212.118さん、「ノート」の記述(「== 出典を要する記述 ==

以下の記述は出典の提示が無かったために削除しました。再掲の際は出典を明示のこと。

しかし、警察という日本国家の持つ暴力装置による弾圧だったとしても当時特別高等警察は勿論一般の警察にとっても主敵だった共産主義勢力は組織内部への警察間諜の浸透や主要幹部の国外亡命などで太平洋戦争開戦以前の状態でほぼ壊滅しており国家神道を脅かす新宗教への弾圧圧迫という一連の動きは組織の存続を図るための所謂消化試合のようなものであった(差し迫った必要性が無ければ、たとえ警察であっても当然各部局の大規模な統廃合が進められ吏員への招集も及ぶ)とされるのが歴史的には通説であり牧口の獄死について歴史的に特別な意味を見出すのは困難だとする意見も多い。

「……意見も多い」とのことですので、代表的な研究論文を2つ挙げて下さい。--自公連立 2008年2月25日 (月) 11:54 (UTC)[返信]