ノート:清露国境紛争

ページのコンテンツが他言語でサポートされていません。

『翻訳者募集テンプレート』を外します。[編集]

2021年08月01日2021年8月1日 (日) 20:40‎ ドリアン斎藤氏の時の版28,406バイトに比べ、 2021年10月12日 (火) 07:06‎ Kizhiyaの版は、主に私Kizhiyaが大量に書き加え、47,940バイトとなった。理由の一つとして、8月1日の記事が、清中心の記載であったことがある。ロシア、モンゴル、さらには先住民族の視点も取り上げ、中立的に書き加えるように努力した。まだまったく足りないのではあるが。 (清というより現代の中国であろうか。中華=満洲文化圏といった、政治的と思われる主張もあった。女真族は中華から「東夷」扱いされていたと思うのだが)

そのようなわけで、あらたに他言語版から翻訳しなおす必要はないと考え、翻訳者募集テンプレートは外すことにした。 今後、他の皆様にも編集いただければ幸いです—Kizhiya会話2021年10月11日 (月) 22:31 (UTC)[返信]

羅禅征伐と清露国境紛争[編集]

羅禅征伐と清露国境紛争の記事の重複が指摘されていますが、どういたしますか? 当方はこちらの記事に加筆した者です。--Kizhiya会話2022年9月9日 (金) 15:22 (UTC)[返信]

羅禅征伐と清露国境紛争の関係[編集]

日本でいう清露国境紛争と、朝鮮史の羅禅征伐は同じものなのでしょうか? 2022年jawp に作られた羅禅征伐の記事は、朝鮮軍を中心に書かれていますが、翻訳元とされる韓国語版ウィキペディア ko:청-러시아 국경 분쟁 oldid=32419705版 では、Google翻訳で読んだところ、「青(清?)-ロシア 国境紛争」となっていました。 日本でいう清露国境紛争では、清とロシア、2大国の大きな戦いが2回あります。1650年代と、1680年代のものです。朝鮮軍が参加したのは、このうち1650年代のものです。 もし朝鮮軍の参加をもって羅禅征伐とするのであれば、それは清露国境紛争の、重要ではありますが、一部分ということになります。「清露国境紛争=羅禅征伐」ではなく、「清露国境紛争に羅禅征伐が含まれる」です。  清露国境紛争は、16世紀末から17世紀にかけて起きたロシアのシベリア征服というユーラシアの大きな流れと、明清交代という中華世界周辺のできごとがぶつかって起きた事件です。関わっている民族は清の満州族をはじめ、モンゴル、ロシアのほか、東アジアや北東アジアの多数の民族もいます。台湾人も清露の戦いに駆り出されています。ロシア人も、コサックだけではなく、商人や軍人、ポーランド人やドイツ人もいます。清露の終戦交渉には、イエズス会士まで参加しています。 朝鮮史としての羅禅征伐の記事があることには、私は賛成です。私を含め、興味深く読む読者も多いと思います。 同時に、上記のような「17世紀のユーラシアの大きな流れ」という理由で、清露国境紛争を羅禅征伐に置き換えたり、重複として清露国境紛争を削除するのには反対いたします。百科事典として良くありません。 それは、(これが適切な例えかわかりませんが)「ソウル空港」の記事があるのに、「大韓民国」がない百科事典と同じです。--Kizhiya会話2022年9月11日 (日) 10:29 (UTC)[返信]

ご提案ありがとうございます。一応朝鮮史的には羅禅征伐も重要な歴史的事件の1つですが、韓国民族文化大百科事典나선정벌(羅禪征伐)の記述によると、あくまでも「孝宗時代の朝鮮が清の要請を受けて、1654年4月28日と1658年6月にロシアを2回攻撃した事件。」というものであり、韓国語版ウィキペディアのko:청-러시아 국경 분쟁 oldid=32419705版 の中の1節に当たります。したがって、羅禅征伐の中の朝鮮軍と無関係の部分を取り除けば、「清露国境紛争の中の羅禅征伐」としての記事が成立できると存じます。--そらみみ会話2022年9月11日 (日) 11:20 (UTC)[返信]
@そらみみさん、さっそくのご対応をありがとうございます。
また、朝鮮軍が清軍とともにロシア軍と戦った事件であることのご教示にも感謝いたします。手持ちの日本語資料では、朝鮮軍の参加は複数の資料に載っているのですが、羅禅征伐という言葉はなく、途方に暮れておりました。
jawp の羅禅征伐の記事ですが、背景となる清露国境紛争のはじまりやネルチンスク条約などにも多少触れてあるほうが読者に親切だと思います。ありがとうございました。--Kizhiya会話2022年9月11日 (日) 12:34 (UTC)[返信]
ご返信ありがとうございます。ご意見はごもっともだと思います。韓国民族文化大百科事典の나선정벌の記述によると、一応清露国境紛争の背景にちょっと触れていますが、「清国では朝鮮鳥銃軍の威力を知っていたため、朝鮮に使節を送り派兵を要請した」とのことで初めて朝鮮が登場しました。また、戦後処理のネルチンスク条約は朝鮮と関係がないため、記述が全くなく、「孝宗の北伐計劃を間接的に実現した結果」としか書いていません。でもこれは韓国中心的な一方的な記述に過ぎないため、もし総合的な視点から書く必要であれば、清露国境紛争のはじまりやネルチンスク条約のことを記述するのに反対しません。--そらみみ会話2022年9月11日 (日) 12:58 (UTC)[返信]
ご意見ありがとうございます。具体的な内容に関しては「清露国境紛争の中の羅禅征伐」として、書ける方が追記するといたしまして、やはりこの内容が消えてしまうのはもったいないと思います。同時に、ご指摘のように、あくまで「清露国境紛争の中での、朝鮮史」に収めていただけるよう、何らかの工夫が必要かもしれません。
まず問題は履歴継承ではないでしょうか。私はやり方がわからないため、利用案内で聞いて、必要に応じて元の筆者の方のノートに記入いたします。
また、問題がなければ、「重複」ラベルは10日から2週間ほど経って剥がそうかと考えております。--Kizhiya会話2022年9月11日 (日) 13:35 (UTC)[返信]

重複テンプレートを外しました[編集]

羅禅征伐との重複テンプレートを外しました。そらみみさん、いろいろご教示ありがとうございます。--Kizhiya会話2022年9月23日 (金) 05:30 (UTC)[返信]