ノート:河野傳

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国立駅舎の設計者[編集]

国立市では国立駅設計者を河野傳(つとう)ではなく、「1972年、当時の国立駅長により(ライト式建築のベテランで河野という人の設計と聞きました)」と国立駅発行のガリバン刷りの非公式冊子で言及されているのみである為、国立市の見解は「設計者である可能性が指摘されている人物」にとどめられており、大正15年の設計図等でも記載がなく特定できず、設計者不明となっている[1]。」という記述(2021年6月12日 (土) 07:22時点における版)を修正しました。  --忠太会話2023年9月16日 (土) 13:34 (UTC)[返信]

近年、国立市(都市整備部、政策経営部)が刊行した冊子では河野傳説を支持しています。なお、河野傳説は文化財指定後(部材保管中)の時期に指摘されたものであります。文化財指定時の資料類では「設計者不明」とされているかと思われますので、文化財課の職員に聞けば「設計者不明」という回答が返ってくる可能性があります。 --忠太会話2023年9月17日 (日) 02:18 (UTC)[返信]

  1. ^ 『「赤い三角屋根」誕生―国立大学町開拓の景色―』くにたち郷土文化館、2020年、[要ページ番号]