ノート:江若鉄道

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車両あれこれ[編集]

昭和40年代に出版された「廃止鉄道夜話」という著書から抜粋します。 「熊延鉄道が廃止されるとすぐ主力のヂハ201、ヂハ202を買って来た。国鉄からもキハ07を三両買い込んで改造し、三両固定編成にしてもっぱら急行や快速につかっていた。(中略)十月三十日にはもうどの車両もきれいにモールで飾られた。国鉄からのキハ07の改造の急行用や、新造の二つ目の車両はすでに膳所駅の引き込み線へ送り出されていた。(中略)かつて「快速ひら号」として活躍した三両連結のキハ07は竜ヶ崎線へ行った。ヂハ201(江若キハ51)はたった一日の差で線路が閉鎖されてしまい、解体されてエンジンだけが加悦鉄道へ持って行かれた」だそうです。--Miami 2006年8月31日 (木) 14:13 (UTC)[返信]

膳所~浜大津について[編集]

膳所~浜大津が江若鉄道の営業路線だった信頼できる情報源はありますか?2006年に大津市歴史博物館で行われた「ありし日の江若鉄道」でも、膳所~浜大津が江若鉄道の営業路線だったという説明はなかったと記憶しています。国鉄の営業路線(東海道本線の浜大津支線)への乗り入れが正しいのではないのでしょうか。--Haruno Akiha loves blue. / Talk / History 2007年7月12日 (木) 01:49 (UTC)[返信]

営業当時の『私鉄要覧』(現在の『鉄道要覧』)等は確認していませんが、和久田康雄著『私鉄史ハンドブック』電気車研究会、1993年 p.123によれば、1947.1.25 開業 膳所-浜大津 2.2、1965.7.10 廃止 〃 -2.2 と書かれています。[1]によると京阪石山坂本線は日本国有鉄道・国鉄清算事業団から1991年まで線路を借用して京阪の路線として営業していたようなので、江若も国鉄から線路を借りているだけだったかもしれません(今でいうところの第一種鉄道事業者と第二種鉄道事業者のような関係か)210. 2007年7月12日 (木) 21:21 (UTC)[返信]