ノート:民族学

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普通は(文化)人類学で解説すべきところを民族学にしてしまっていませんか?

たとえば進化主義的民族学者の代表例であるエドワード・タイラーにはAnthropologyという著書はあってもEthnologyという著書はありません。ハーバート・スペンサーのThe evolution of SocietyはClassics in Anthlopologyという叢書に入っています。 機能主義的民族学はLSEのラドクリフ=ブラウンやマリノフスキーらが展開したものですが、LSEの講座名はDepartment of Anthropologyですし[1]、一般的にSocial Anthropologyの牙城とみなされています。 レヴィストロースは構造人類学(Anthropologie structurale)という言葉は使っても構造主義的民族学という言葉は使っていないはずです。

ヘルマン・バウマンやレオ・フロベニウス、大林太良、岡正雄らの文化圏論は民族学と称してもいいとは思うのですが。--toroia 2007年11月3日 (土) 14:57 (UTC)[返信]

はじめましてToroiaさん、御教示いただきまして本当にありがとうございました。にわか勉強の馬脚が出たようなありさまで恥ずかしく思います。教えていただいたことを記事に反映させるべく、修正を加えました。でも、本来は民族学で説明すべきことではないのかもしれませんね。いかがしましょうか。引き続き、御教示くだされば幸いです。--Greenland4 2007年11月3日 (土) 15:32 (UTC)[返信]
その後も加筆なさっているようですが、いずれも文化人類学に書いたほうがよい内容です。これから加筆するならば、ドイツ語圏のEthnologie及びドイツで訓練を受けた日本の第一世代人類学(「第一世代」というのは小松和彦が使っている表現ですけど)のみに絞ったほうがいいのでないでしょうか? アメリカにもAmerican Ethnologistという雑誌はありますが出版しているのはAmerican Anthropological Associationですし。--toroia 2007年11月11日 (日) 09:10 (UTC)[返信]