ノート:楕円函数

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メモ[編集]

楕円関数 2010年9月19日 (日) 08:39 (UTC) の版 - 楕円函数 2010年9月30日 (木) 18:42 (UTC) の版 --白駒 2010年10月1日 (金) 10:58 (UTC)[返信]

練習用のテスト投稿です。特に意味はありません。--古田泰之会話2020年4月6日 (月) 13:44 (UTC)[返信]

白駒さんに三つの質問があります。改行が上手くいってないのですいません。  まず、2020年3月23日の「楕円積分と楕円関数のどちらが先か」での"楕円関数"は、二重周期有理型函数でない事は明らかでせうが、では「この場合の楕円関数とは何だ?」という話になる。そこで、白駒さんの言う"楕円関数"とは何かを知りたいのでお答え願います。

 二番目。複素解析を持ち出すしかない現行の定義は、百科事典として適切か? 今の記事なら最初から"「Wikipediaではなく、専門書を読」め" と書いた方が良いと私は思うよ。勿論現行の記事は正確さの点で必要だとは思います。しかし、この定義は一業界の主張に過ぎない。昔の竹内端三さんの岩波全書の前書きと内容によると、ヤコビの楕円関数は実関数でしたよ(過去形に注意)。

 三番目。アーベルは楕円積分の逆関数を考えるという不自然に見える事をやって、二重周期有理型函数に至ったといわれる。何故アーベルはこんな不自然な事をしたのか? 但し「アーベルは天才で天才の考えは凡人には分らない」という答えは不要です。何故なら、私が大雑把に言えば「…」の定義を思いついたのは、「アーベルが天才ではなかったとしたら?」という些か乱暴な仮定の下で考えたからです(アーベルが天才ではないと主張する気は無く、単なる仮定です)。私の投稿が「ことになっている。しかし、」で始まったのは、アーベルが積分の逆関数を考えて実行した事が楕円関数の曲り角だと考えるからです(竹内さんの岩波全書を見て曲がり角と考えた)。

 處でガウスの生まれた年について考えたことはありますか? 1777年(7のゾロ目)生まれ。前年(1776)にはアメリカ独立宣言、83年正式独立。89年お隣でフランス革命、1804年ナポレオン皇帝即位、12年ロシア遠征(多分ドイツを通ってロシアへ行ったでせう)--古田泰之会話2020年4月26日 (日) 07:58 (UTC)[返信]

無益な禅問答になりそうなので、あまり答えたくはないのですが…。◆この差し戻しに対する説明を求められているのだと理解しています。古田泰之さんの主張する「元来は…」や「…というのが真相」ということをウィキペディアに書きたければ、ウィキペディアの方針「Wikipedia:出典を明記する」に従い、そう主張する文献を提示して頂きたく存じます。◆「…という捉え方もできる」というくらいの表現で、個人の感想を交えず、冒頭ではないところに書くならば、私も即差し戻しはしなかったかもしれません。古田泰之さんの編集は、中立的とは思えない表現で(一業界どころか)一個人の主張をしているに過ぎません。◆一業界の主張とおっしゃるかもしれませんが、現代数学においては、楕円積分の逆関数という側面よりも、二重周期関数であることの方が重要です。◆私は歴史的なことはあまり興味がなく、数学史家ほど詳しくありませんが、アーベルが不自然だとは別に思いません。◆「あなたの考える楕円関数とは何か」という問には、「楕円関数そのもの」としか答えられません。私が要約欄で言いたかったのは、「楕円積分の逆関数が楕円関数」と考えるのと、「楕円関数の逆関数が楕円積分」と考えるのは、どちらもある意味正しくて、どちらか一方が「真相」などということはない、ということです。--白駒会話2020年4月26日 (日) 11:28 (UTC)[返信]
  • 名指しされてはいませんが、私も同じように古田泰之さんの投稿を差し戻した者としてコメントします。古田泰之さんの投稿を差し戻した理由を一言でいえば、古田泰之さんの投稿内容は明らかに、Wikipediaで明瞭に禁じられている「独自研究」に相当するためです。たとえ正しい内容であったとしても、「自分(もしくは自分たち)で考えたこと」はWikipediaの記事には書けません。ですからこの場で、楕円関数の定義がどうだの、アーベルが何を考えていたかだのを議論して、それで何か結論が出たとしても、Wikipediaの記事には書けません。従ってこの場でそういう議論をすることは無意味です。古田泰之さんが、ネット上でご自分の主張を展開されたいのであれば、ご自分のWebサイトやブログや参加されているSNSなどで存分に語っていただきたいと思います。--Loasa会話2020年4月26日 (日) 12:18 (UTC)[返信]